2022年7月3日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  Tペトロ2:9
頌  栄  26
讃 美 歌  もう振り向かない
主の祈り  93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷  司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  463
聖書朗読  ガラテヤ2:15-21(P338)
メッセージ  小菅 剛師
「 義認と聖化 」

 

説 教 要 旨   
ガラテヤ書はパウロの手紙の初期のものです。ガラテヤ書は妹で、ローマ書は姉、むき出しの福音と言われています。宗教改革者ルッターは、ガラテヤ書と結婚したといわれました。それほどガラテヤ書を愛読しました。ガラテヤ書は福音が簡潔に記されています。福音はキリスト御自身です。
1,義認
義認とは、神が罪人を義と認めて下さることです。神に受け入れられ、神と健全な関係にある事を意味します。
(1)律法の行いによって誰一人、義と認められません。なぜなら、律法の行いよって義とされるには、律法の書に書いてあるすべてのことを守り、行わなければならないからです(3:10)。律法を完全に守り行える人はいません。ですから、罪人は神の怒りと呪いを受け、義とはされる人はいません。

(2)イエス・キリストの真実によって罪人は義とされます。キリストの真実とは、「私を愛し、私のためにご自身をささげられた神の子の真実」(:20)で、「キリストは私たちのために呪いとなって」(3:13)私たちに義を与えて下さいました。信じるだけで救われます。
2,聖化
15節から17節までに「私たち」が3回、18節から21節まで「私」が7回出てきます。この箇所は、パウロの個人的な信仰経験です。神に義と認められたパウロは、内にその証を持ちました。義とされた人でも律法は生きています。その律法に対して「私」は死にました。キリストと共に十字架につけられ死んでいるのです。義とされた人に、キリストが来てくださり、生きてくださいます。これは経験できる福音です。キリストが主となって、私の体を支配して、神を愛し、人を愛する道を歩ませてくださいます。これが聖化です。

2022年6月26日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  使徒言行録2:17
頌  栄  26
讃 美 歌  ウォーキングキング ウィズ ジーザス
主の祈り  93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷  司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  475
聖書朗読  ネヘミヤ7:72b-8:11(P736)
メッセージ  小菅 剛師
   「力の秘訣」

 

説 教 要 旨   
城壁工事は敵の攻撃の中で完成した。民は、第七の月(9〜10月)み言葉に渇き広場に集まって来た。霊的な渇きで、リバイバルの始めである。ネヘミヤとエズラは民に「主を喜びとすることこそ、あなたがたの力である」(8)と語る。ここに力の秘訣がある
1,喜びが来るまで主の前に静まりなさい:11
民は悲しみ、動揺した。しかし、神の前に静まりなさい。罪人は騒ぎ立て、静まることができない。「静まれ、私こそが神であると知れ」(詩46:11)。神を喜びとするまで静まりなさい。現代の課題は、力がないことではなく、静まることを奪われてしまうことである。忙しすぎて静まらない。神を喜びとできるまで主の前に静まろう。
2,赦しを与えて下さる主を喜ぼう:10
 律法の書とはモーセ五書である。夜明けから正午まで、はっきり朗読され、意味を明らかにした。 

ヘブル語が当時の使っているアラマイク語に訳され、説明され、民は律法の書を理解した。その結果、自分たちの罪深さが示され、嘆き、泣いたのである。「悲しむ人々は、幸いである。彼らは慰められる」(マタイ5:4)。「神の御心に適った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせ」(2コリント7:10)る。ネヘミヤとエズラは「悲しんではいけない」と言う。第七の月は贖罪日で、神が与えて下さる聖なる日で、赦しが告げられる。神は、罪に悲しむことのないように御子を十字架につけて、赦しを与えて下さった。この主を喜ぼう。環境で悲しんだり、喜んだりしないであなたの神、主を喜ぼう。
3,主は喜ぶ人に力を与えて下さる。
神は神を喜ぶ人に偉大な力を与えて下さる。その力は偉大である。ナイヤガラの滝の水以上に大きい。主を喜ぶ人は、日常の生活の困難さを乗り切る力が与えられる。

 

2022年6月19日 礼拝説教要旨

オープニング 
讃 美 歌   豊かな人生の条件
主の祈り  93−5B(P148)
開会祈祷  司会者
讃 美 歌  493
聖書朗読  第Uコリント12:1-11(P333)
メッセージ  小菅 剛師
   「わが恵み、汝に足れり」

 

説 教 要 旨   
 パウロは、ここで自分の弱さを誇っている。すごい生き方である。それは、弱い時こそ強い秘訣を与えられたからです。これは人生勝利の道でしょう。この秘訣は、「私の恵みはあなたに十分である」にあります。
1,神はパウロを信じられないことがある
 神は、パウロが高慢にならないとは信じません。パウロは、特別な経験が許されました(:1〜6)。彼の博学、熱心、努力などあらゆる面で優れた人でした。このように整った人は人から過大評価され、高慢になるものです。神はパウロを守るために肉体に一つの棘を与えられました。これは、サタンから送られた使いでパウロを苦しめました。パウロは、この苦しみから解放されるように神に祈りましたが、答えられませんでした。肉体の棘を取ったなら、パウロは高慢になるからです。

神は、あなたを守るため、高慢にならず、謙遜になるために肉体に棘を与えておられます。この棘は人により違います。
2,私の恵みはあなたに十分である
 パウロは、肉体に棘がある限り神の恵みが十分であると思えなかったでしょう。しかし、神の恵みは、砕かれた謙遜な心に与えられます。パウロは、この棘によって高慢ならず謙遜にさせられました。神は、パウロに徹底的に弱さを知らされます。これは辛いことです。棘は、罪、今内にある弱さ、肉体の病かも知れません。霊的な内なる弱さかもしれません。神はそのパウロに、罪の赦しと臨在と徹底的に愛される愛を注がれました。「神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお与えになる」(ヤコブ5:5)。特別な経験をし、用いられるパウロに神は謙遜にして、力を与えられました。私が強くなるのではなく、神が私を強くしてくださることを学び続けるのでした。だから、弱さを喜んで誇ったのです。

 

2022年6月12日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  使徒言行録2:17
頌  栄  26 
讃 美 歌   威光・尊厳・栄誉
主の祈り  93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷  司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  343
聖書朗読  歴代誌下16:1-10(P677)
メッセージ  小菅 剛
「主と心を一つにする者に」

 

説 教 要 旨   
 ペンテコステの日、弟子たちは心を合わせて祈っていた。仲間たちと心を合わせ、神の約束に心を合わせた時に聖霊は臨み、力を受けて復活の証人となった。主と心を一致させえることが力の秘訣である。
1,主の目は、力を与えたいと動いている
ユダヤの王アサは、主の目に適うことを行った。クシュの国が大軍でユダを責めて来た時、アサ王は神に叫び助けを求めて勝利を得た(14:1〜11)。主の目は、主を呼び求める者に力を与えようと全地を行きめぐっている。この目から隠れている人はいない。主に信頼して待ち望む者に、主は力を現わされる(イザヤ40:27〜31)。あなたに主の目は注がれている。
2,晩節を汚したアサ王
晩節を汚したアサ王がここに出る。ユダの繁栄とイスラエルからの人口流失を防ぐために、イスラエルの王バシャはラマを補強した。

アサ王在位41年(:13)で死を迎える5年前のことである。アサ王は、神を頼りとせず、北のアラム王ベンハダトに金銀を送り、イスラエルを攻めさせた。バシャは、ラマを放棄して北に向かった。アサ王はうまくいったと思ったが、これは失敗であった。神は、この時アラムをもアサ王に渡そうと思っておられたが、逆にアラムの脅威を受けることになる。平和であったユダは、イスラエルと戦争が続くことになる(:9)。アサ王は、これを諫めた預言者ハナニを獄に入れ、足の重病の時も神を求めず、医者にのみ頼った。晩節を汚さないように心したい。
3,力の秘訣
主と心を一つにするものに神は力を現わされる。主の心は聖書と祈りで知る。心を合わせるには、自我が十字架につけられていることを信じ、聖霊に従おう。

2022年6月5日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  使徒言行録2:17
頌  栄  26
讃 美 歌  日の昇るところから
主の祈り  93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷  司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  342
聖書朗読  使徒1:3-8,2:1-4(P209)
メッセージ  小菅 剛師
  「一同は聖霊に満たされて」

 

説 教 要 旨   
 「神学なき体験は妄想、体験なき神学は空虚」と言った神学博士渡辺善太は、「バックストンの聖霊体験は、穏健にして健全」と言いました。この流れに羊ヶ丘教会はあります。ペンテコステの恵みは繰り返され、羊ヶ丘教会にペンテコステの恵みを求めつつ、神を礼拝しましょう。
1,五旬節の日が来て
「日が来て」とは時が満ちての意味です。神は預言者ヨエルを通してペンテコステを預言されました。その預言の成就の日が来たのです(ヨエル3章、使徒2:16〜21)。神が約束を成就される真実な神であることが証明されました。人々は、経済や社会問題を常に関心を持ちます。しかし、神は一人の人の救いに関心を持たれます。このために計画し、時が満ちて、時間通りに実行され、人の救いを開始された日がペンテコステです。

2,一同は聖霊に満たされて
これまで、神はサムソン、サウル、ダビデ、預言者など特別な人に聖霊を与えられました。私たちは除外されていました。しかし、この日すべての人に神は聖霊を与えられました。ALL AND ONE。集まっていた人は漁師、徴税人、罪人、名もなき無学、女性たち、弱く、力なく、無きに等しい者たちでした(1コリント1:26〜29)。異邦人にもペンテコステが与えられました(使徒11:17〜18)。あなたに与えられる恵みです。
3,キリストの証人となる
ペンテコステは、人をキリストの証人、それも復活の証人にします(1:8,22)。復活のイエスを500人以上の人が見ました(1コリント15:6)。しかし、聖霊を受けた120人だけがイエスの復活の証人になりました(2:23〜32,3:15,4:2,10,5:30〜32,10:40・・・)。イエスの復活の証人となるために聖霊を受けましょう。

2022年5月29日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  ローマ12:1
頌  栄  26 
讃 美 歌  主を待ち望む者は
主の祈り  93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷   司会者
讃 美 歌   337
聖書朗読  列王記下2:1-12(P563)
メッセージ  小菅 剛
  「霊の二倍の分け前を」

 

説 教 要 旨   
 聖書の歴史は、愛の神が罪人を救われる歴史です。その救いは、神の僕によって行われます。神の僕の奉仕は次の僕に継承されます。エリヤの後継者エリシャから、キリストの奉仕の後継者を見ましょう。
1,神の僕の選び
神はエリヤに、「シャファトの子エリシャに油を注ぎ、あなたに代わる預言者としなさい」(列王記上19:16)と告げられます。エリヤは、エリシャに自分の外套を投げ、自分の預言者職を託し、後継者に招きます(列王記上19:19)。エリヤが後継者を選んだのでなく、神が後継者を選ばれます。私たちも神に選ばれています
2,後継者への備え
神に選ばれただけでは後継者になれません。エリシャは、エリヤの霊を受けなければなりません。私たちも聖霊を受けてイエスの後継者になります。

(1)聖霊は従う者に与えられます:1〜8
エリヤが世を去る時、エリシャは、どこまでもエリヤに従って行きます。エリヤに「とどまれ」と言われてもエリシャはギルガル、ベテル、エリコ、ヨルダン川までついていきます。「神がご自分に従う人々にお与えになった聖霊」(使徒5:32)とあります。
(2)聖霊は求める人に与えられます:9
エリヤが、何なりと願えと言えば、エリシャは「あなたの霊の二倍の分け前(長子に財産の二倍の分け前、申命記21:17)をください」と求めました。「天の父は、求めるものに聖霊を与えて下さる」(ルカ11:13)。
(3)聖霊はイエスが栄光を受け、与えられる:10
エリヤが取り去られるのを見るなら、二倍の霊を受けると語ります。イエスがエリヤのように天に上げられて栄光を受けられ聖霊は降りました(ヨハネ7:39)。聖霊を受けキリストの後継者になりましょう。

2022年5月22日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  ローマ12:1
頌  栄  26
讃 美 歌  主は羊飼い
主の祈り  93−5B(P148)
使徒信条
開会祈祷   司会者
讃  美  エステル会
讃 美 歌  392
聖書朗読  列王記上17:1-7(P547)
メッセージ 小菅 剛師
「私の仕える神、主は生きておられる」

 

説 教 要 旨   
 モーセはイスラエルをエジプトから導き、律法を民に伝えた偉大なる予言者です。エリヤは、宗教が堕落した民を神に立ち帰らせた戦いの預言者です。エリヤとは「ヤーベは神である」の意味です。彼は「私が仕えているイスラエルの神は、主は生きておられる」とアハブ王に語ります。エリヤは、愚像の神ではなく、神は生きておられる神に仕え、神の御前(原文)に生きる人でした。これを学び続けていくのが私たち信仰者です。
1,エリヤは神を知る人です
エリヤは、神が何を苦しみ、心傷み、悲しんでおられるかを知りました。国は、宗教的、道徳的に全く堕落していました。王アハブで代表される民は、主の目に悪を行い、神を捨て、偶像を拝みました。これは神の悲しみでした。国の繁栄が、偶像と自分たちの努力であると勘違いしていました。それで、エリヤは干ばつを告げます。

エリヤは雨が降らないように熱心に祈りました(ヤコブ5:17)。エリヤは愛する祖国の旱魃、試練を祈るのです。これは、神の傷みを知る人の大胆ないのりです。真に祖国を愛する人の祈りです。
2,エリヤは身を隠す恵みを知ります
神は、ヨルダンの東岸ケリト渓谷に身を隠すことを命じられ、エリヤは従います。神は「そこ」でエリヤを養われます。神は、信仰者を養われる場所を持っておられます。ケリト渓谷は、厳しく、寂しく、目に喜びとなるものが全くない所です。孤独と世から離れた場所、「そこで」神は養ってくださいます。
3,エリヤは枯れていく中に身を置くことを学びます
渓谷の水は日ごとに枯れていきます。これは、日ごとに増していく不安と恐れです。経済、体力、勢力などが低下する恐ろしさは言いようがありません。成長の時は感謝ですが逆の時も神に信頼することを学びましょう。

2022年5月15日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  ローマ12:1
頌  栄  26
讃 美 歌  豊かな人生の条件
主の祈り  93−5B(P148)
開会祈祷  司会者
証  詞   桂三段兄
讃 美 歌 493
聖書朗読 使徒17:16−31(P243)
メッセージ   小菅 剛師
   「知られざる神に」

 

説 教 要 旨   
 アテネは、学問(:18)と神々(:16)、オリンピック発祥のスポーツ都市です。パウロは「知られざる神に」(23)からまことの神について語りました。
1,神は、悔い改めを命じられる:30
アテネの人々の「知られざる神」は天地創造の神です。その神は、無知な時代を大目に見て来られました。神は遠く離れた神ではなく、私たちの近くにおられる神です。私たちは、神の中で生き、動き、存在しています。その神を探し求めれば見出すことができます。どこにでもおられる神は、砕かれた人の近くにおられる神です(詩編34:19)。人間が造った神々を信じる世界を大目に見て、見過ごして来られました。しかし、今神は、悔い改めを命じておられます。悔い改めとは、天地創造の唯一の神に立ち返ることです。

2,神は裁きの日を決められました:31
神が、裁きの日が決められたので、悔い改めるように命じられています。「先にお選びになった一人の方」とは、イエスです(:18)。神は、独り子イエスをこの世に遣わされました。神は、このイエスに世界の罪を担わせて、正しい神は罪の裁きを十字架で実行されました。十字架は、罪に対する裁きです。イエスは、私たちの身代わりになって、罪の裁きを受けてくださいました。それによって、罪が赦され、神の裁きから解放されました。神の裁きが十字架に表されたように、この世界を裁く日を決められました。悔い改めよう。
3,神の裁きの確証さえ与えられました
神の裁きが確かであることをイエスの復活によって証明されました。神は、イエスを死者の中から復活させ、世界の王、裁判官とされました。それで、今、悔い改めを命じられています。悔い改めて神に立ち帰ろう。

2022年5月8日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  ローマ12:1
頌  栄  26 
讃 美 歌  まもなくかなたの
主の祈り  93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷   司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌   236
聖書朗読   ローマ13:11-14(P287)
メッセージ  小菅 剛
「夜は更け、昼は近づいた」

 

説 教 要 旨   
 今日は母の日、アウグスチヌスの母、祈りの人モニカを思い出します。母の祈りに中で、聖書を手にしたアウグスチヌスは、「主イエス・キリストを着なさい」のみ言葉で回心して、説教者、神学者、哲学者が生まれました。
パウロは、これまで救いの教理を記して、この教えに沿った歩みが熱心であるように記します。
1,眠りから覚める時が来た
神は、目覚めよと言われます。「救いが・・・より近づいているからです」。この救いは「わたしたちも、子にしていただくこと、つまり、体の贖われること」(8:23)です。即ち、神は、魂ではなく体を贖ってくださる救いの完成です。栄化の恵みです。これは、キリストの再臨の時です(フィリピ3:20〜21、1テサロニケ4:16〜17)。夜は更け、昼が近づくとは、万物の終わりと主の再臨が近いのです。

目覚めよとは、神があなたの救いの完成のために行動を起こされる時が近づいたのだから、あなたも行動を起こすように勧められています。
2,主イエス・キリストを着なさい
再臨への備えは何でしょうか。エリコの沿道で物乞いをしていたバルテマイが主に呼ばれました時、彼は喜んで上着を脱ぎ捨ててイエスのもとに行きました。私たちも、栄光の主、再臨の主にお会いするために、脱ぎ捨て、着なければなりません。
(1)まず、捨てることです。闇の行い、馬鹿騒ぎや泥酔、淫乱や放蕩、争いや妬みを脱ぎ捨てましょう。着慣れた古着である肉欲を脱ぐのです。
(2)キリストを着るとは、洗礼を受けた時にキリストを着(ガラテヤ3:27)、「神にかたどって造られた新しい人を着」(エフェソ4:24)るのです。誰の目にも着物は見えます。あなたが、キリスト者であることが誰にでもわかるような生き方をしなさいとパウロは言う。

2022年5月1日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞   ローマ12:1
頌  栄   26
讃 美 歌   主の教えを喜びとし
主の祈り  93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷   司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  61
聖書朗読  申命記6:1−15(P275)
メッセージ   小菅 剛師
「真の幸福への道」

 

説 教 要 旨   
 モーセ五書(創世記から申命記までの五書)の五番目は申命記です。ヘブル語聖書のタイトルは「これは言葉である(エーレ・ハッデバーリーム」」(1:1)、日本語の申命記は漢訳聖書からとられ、律法が再び命じられる意味です。40年前シナイ山で神は律法を語られ、モーセはヨルダンの東岸モアブの地で、律法を解き明かしましたのが申命記です(1:5)。
1,真の幸福への道:1〜3
荒れ野で40年、不信仰の旅が終わり約束の地カナンの地に入り、戒め、掟、法(十戒を中心とした神の命令・神の言葉)を守り行うことが、幸せの道です。民は荒れ野時代に神の言葉を守り行う事はできませんでした。ホレブの山で恐れながら律法を聞き守りますと言いました人々は、守ることはできませんでした。それで、神はこの民をヨルダン川をモーセではなくヨシュア(イエスの意)によってヨルダン川を渡らせられます。

これは、キリストと共に死んで、キリストと共に復活し、聖霊にあずかる模型です。この恵みが律法を心に刻まれます。
2,神を愛し、神を第一とした生き方:4〜5
ヨルダン越えした民は、天地創造の神、罪の奴隷から解放してくださった神は唯一であると告白します。そして、この神を力を尽くして愛し、十戒を守ります。
3,み言葉を守り行う生き方:6〜9
子供の幸せを祈る親は、子どもに聖書を教えます。教会学校に送ります。聖書の読み方を子どもに教えます。その子らしくではなく、神の前にその子らしく生きることをしつけます。これは、神を知っている親です。
御言葉を行う道は、身近にみ言葉を置き、み言葉に目を向けることです「完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れずにいる人は・・・行う人になります」(ヤコブ1:25)。幸せの道であるみ言葉を守ろう。