2022年8月7日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  ローマ5:2
頌  栄  26
讃 美 歌   一度きりの人生(1)
主の祈り  93−5B(P148)
開会祈祷   司会者
讃 美 歌  120(1,6)
聖書朗読  Tヨハネ2:12-17(P430)
メッセージ   ファン・デヨン師
「これもまた過ぎ去ります」

 

説 教 要 旨   
 イエスキリストを信じ、お救いいただいた神様の子供にとって、神様を愛するということはとても難しい課題です。もちろんイエス様を信じる者は神様を愛する心がありますが、 世を愛する心が、雪がとけるように消えないまま心の底にそのまま残っています。それがよく葛藤を起こし戦います。このような矛盾だらけの私たちに向かって使徒ヨハネは「世も世にあるものも、愛してはなりません。」(:15)と言います。クリスチャンが世より神様をもっと愛するべきその理由を言います。
1.私たちのすべての罪が赦されたためです。
 12節に、ヨハネは「あなたがたの罪がイエスの名によって赦された」と語っています。第一ヨハネの手紙 1章9節にも「私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます。」と語ります。

2. 私たちが神様と交流をもつ存在だからです。
 13節に、「あなたがたが初めからおられる方を知っているということを。」とあります。この「知る」という言葉は交流する、交際するという意味です。イエス様のおかげで、神様と再び交わりをもつことができる特権を受けているのです。
3.私たちがサタンに勝ったからです。
 14節に「若者たちよ、あなたがたに書き送ります。あなたがたが強く神の言葉があなたがたの内にとどまり あなたがたが悪い者に勝ったということを。」と語ります。イエス様がサタンに勝ったことを信じるなら、その勝利は私たちの勝利になります。このような驚くべき恵みをいただいた私たちは、神様を愛するしかありません。人生にいくら激しい波がたち、風が吹き荒れても、神様だけを愛し、その方に力を供給される人は動揺しません。このような人は永遠だと信じます。

2022年7月31日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  Tペトロ2:9
頌  栄  26 
讃 美 歌  ウォーキング・ウィズ・ジーザス
主の祈り   93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷   司会者
讃 美 歌  120
聖書朗読  コヘレト12:1-14(P1033)
メッセージ    小菅 剛
「若き日に造り主を心に刻め」

 

説 教 要 旨   
 コヘレトは、集会の指導者の意味で、ルッターは「伝道の書」(口語)と言いました。「ダビデの子、エルサレムの王」(1:1)とあり、ソロモン説が有力です。
1,太陽の下、人生は空である
「空の空、一切は空である。太陽の下」(1:2,3)で始まり、「空の空とコヘレトは言う。一切は空である」(12:8)で終わる書です。「空」という言葉が37回出てきます。王は、人生を探求した結論は「太陽の下では空」であることを知りました。世は同じことの繰り返し(1:3〜)、多く学んでも満足しない(1:12)、快楽を追求し、事業に熱中しても空しい(2:1〜)。太陽の下で労苦し蓄えても、労苦しなかった者に譲り、賢者も愚者も同じく死ぬなど。仏教の「空」とはすべては縁起(人間の及ばない偶然)によってなり、そこには空で実体はないとします。

コヘレトは、「太陽の下では空である」(1:2,3、4:7、8:9,10,9:9)であると見極めたのでした。
2,太陽の上には神がおられる
人生は「空の空、一切は空」なのは太陽の下、神なき世界です。この太陽の下の空から太陽の上に昇華して神を信じ、神を畏れる事こそ、この空の世界からの解放であると言います(3:11,11、7:18、8:12、)。そして、「結論。神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである」(12:13)と教えます。神を信じ恐れる理由下記です。
(1)老いて楽しみがなくなるから12:1〜8
(2)神は善であれ悪であれ裁かれる12:14、11:7〜10
 信仰とは先見であり、決断です12:1。神を信じる人生は「空の空」というニヒリズム(秩序と価値を否定し、生きる意味なしとする)、虚無主義、世に意味や価値はないとする思想から救われます。神は愛です。復活によって生きる希望が与えられます。神を心に刻もう。

2022年7月24日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  Tペテロ2:9
頌  栄  26
讃 美 歌  主を待ち望む者
主の祈り  93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷   司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  132
聖書朗読  フィリピ3:10-16(P357)
メッセージ   小菅 剛師
   「目標を目指して走る」

 

説 教 要 旨   
 キリスト者は、「律法による自分の義ではなく、キリストの真実よる義(救い、罪の赦し、神の子とされ、神との正しい関係)が与えられた人です。キリストの真実(贖い、十字架)による救いを経験した人は、パウロと共に「私の主イエス・キリスト知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失と見なしています」(:8)と告白します。そして、義と認められたキリスト者は、「何とかして死者の中から復活に達したい」(:11)と努力する人だと言います。
1,キリスト者は不完全であり、完全な者です
15節に「完全な者」とあり、ここにキリスト者の完全があります。この完全は、「すでに完全な者になっているわけではない」(:12)とありますから、ここにキリスト者の不完全が言われています。キリスト者の完全とは、同時にキリスト者は不完全な者だとパウロは言います。

2,キリスト者の完全とは
不完全であり完全であるキリスト者とは、「上に召してくださる神の賞(死者の中からの復活)を得るために走る」人です(:14)。これについて「自分の救い(賞を得る)を達成するように努めなさい。あなたがたの内に働いて、・・・行わせておられるのは神です」(2:12,13)とも表現されています。神に義と認められ人の心に神は、これを達成させるために働かれ神です。死者の復活にあずかるため務め、賞を得るために走る人がキリスト者の完全です。そのために次を心がけましょう。
(1)目標はただ一つであることの確認しましょう
(2)後ろのものを忘れるとは、自分では忘れることはできませんが過去のことに振り回されない恵みが与えられています。十字架を仰ぎましょう。
(3)神の賞である神の栄光にあずかることがどんなにすばらしいかを覚えましょう。

2022年7月17日 礼拝説教要旨

オープニング 
讃 美 歌  豊かな人生の条件
主の祈り  93−5B(P148)
開会祈祷   司会者
讃 美 歌  493
聖書朗読  詩編42:1−12(P859)
メッセージ   小菅 剛師
  「落ち込みからの解放」

 

説 教 要 旨   
「私の魂よ、なぜ打ち沈むのか、なぜ呻くのか」(:4)とあり、この詩編は落ち込んだ人が立ち上がる秘訣を記した詩編です。多くの自殺の原因に鬱があります。落ち込みから立ち上がれない引きこもりが多い社会です。誰でも落ち込み、鬱は陥ります。日本人は、まじめで、責任感が強く、オーバーワークで落ち込みになります。
1,落ち込みの原因
落ち込みには多くの原因がありますが、四つ上げます
(1)自分がしたいことができない場合:7
(2)人からの批判攻撃を受ける場合:4、人間関係不和
(3)過去の栄光や喜びを思い出し現状の悲惨:5
(4)犯した罪から来る落ち込みなどです
2,落ち込みからの解放への道
(1)主への歌、賛美が解放します:9
ルッターは落ち込んだ時に賛美しました。

夜の孤独で不安な時に、讃美歌を聞く、賛美歌を歌うことは神が働かれます。シャーロット・エリオットの「あるがまま、我を、血をもて、贖い」の讃美歌は多くの人を落ち込みから解放させました。
(2)生ける神への祈り:9
この詩編に「わたし」が22回出てきます。祈りは自分から目を離して、神に心を向けさせます。神はあなたを愛しておられます。あなたを助けたいと思っておられます。イエスの十字架により、あなたの魂を変えて下さいます。「神様、助けてください」で良いのです。
(3)自分に語るのです:6,12
落ち込んでいる詩人は、6節の言葉を神や人にではなく、自分の魂に語るのです。何度も言うのです。このみ言葉を注視します。言葉で出します。神はその時あなたの心に希望を与え、光が射しこみます。

2022年7月10日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  Tペトロ2:9
頌  栄  26 
新 聖 歌   2
主の祈り  93−5B(P148)
開会祈祷  司会者
聖 歌 隊
新 聖 歌   226
聖書朗読  イザヤ書6:1-8(P1054)
メッセージ  工藤 弘雄師
   「イエスの栄光」

 

説 教 要 旨   
今聖会の主題は「大いなる光景」です。今朝はイザヤが見た「イエスの栄光」(ヨハネ12:41参照)です。ここに見る三つの体験的動詞「見た」、「触れた」、「聞いた」に注目しましょう。
1、イザヤは何を見たか 
ウジヤ王の死は青年イザヤに衝撃でした。その年彼は神殿において驚くべき光景を見ました。それは至高、至聖、大能の主の御姿であり、セラピムの敬虔、謙遜な礼拝と奉仕の姿でした。その時イザヤはもう一つの衝撃的なものを見ました。それは彼の醜いわざわいの姿、滅ぶべき自己の正体でした。「わざわいなるかな、われ滅びなん!」きよめの体験は神の聖に触れ、自己の正体の暴露から始まります。
2、イザヤは何に触れたか 
その時彼に触れたものは、祭壇上の「燃えさかる炭」でした。

主は言われた、「この火なんじの唇に触れたれば、なんじの悪は除かれ、なんじの罪はきよめられたり」(7、文語訳)。今も十字架上の祭壇に燃えさかる聖霊の火は私たちのどんな悪も罪も除き、きよめます。私たちに汚れた自己の正体を見せられる神は必ず十字架の祭壇の下に私たちを導き血潮と火をもってきよめられるのです。
3、イザヤは何を聞いたか 
イザヤはその時主の声を聞きました。「だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか」(8)。三位一体の神の切実なお声です。イザヤは応答しました、「ここに私がおります。私を遣わしてください。」主への明け渡しと主の働きへの献身です。きよめと宣教!きよめは必ず私たちを宣教へと駆り立てます。
 イエスの栄光を見、自己の正体を見、十字架の祭壇の血潮と火に触れ、主のお声を聞き、滅び行く同胞への痛みと涙を持って、今遣わされましょう。

 

2022年7月3日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  Tペトロ2:9
頌  栄  26
讃 美 歌  もう振り向かない
主の祈り  93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷  司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  463
聖書朗読  ガラテヤ2:15-21(P338)
メッセージ  小菅 剛師
「 義認と聖化 」

 

説 教 要 旨   
ガラテヤ書はパウロの手紙の初期のものです。ガラテヤ書は妹で、ローマ書は姉、むき出しの福音と言われています。宗教改革者ルッターは、ガラテヤ書と結婚したといわれました。それほどガラテヤ書を愛読しました。ガラテヤ書は福音が簡潔に記されています。福音はキリスト御自身です。
1,義認
義認とは、神が罪人を義と認めて下さることです。神に受け入れられ、神と健全な関係にある事を意味します。
(1)律法の行いによって誰一人、義と認められません。なぜなら、律法の行いよって義とされるには、律法の書に書いてあるすべてのことを守り、行わなければならないからです(3:10)。律法を完全に守り行える人はいません。ですから、罪人は神の怒りと呪いを受け、義とはされる人はいません。

(2)イエス・キリストの真実によって罪人は義とされます。キリストの真実とは、「私を愛し、私のためにご自身をささげられた神の子の真実」(:20)で、「キリストは私たちのために呪いとなって」(3:13)私たちに義を与えて下さいました。信じるだけで救われます。
2,聖化
15節から17節までに「私たち」が3回、18節から21節まで「私」が7回出てきます。この箇所は、パウロの個人的な信仰経験です。神に義と認められたパウロは、内にその証を持ちました。義とされた人でも律法は生きています。その律法に対して「私」は死にました。キリストと共に十字架につけられ死んでいるのです。義とされた人に、キリストが来てくださり、生きてくださいます。これは経験できる福音です。キリストが主となって、私の体を支配して、神を愛し、人を愛する道を歩ませてくださいます。これが聖化です。

2022年6月26日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  使徒言行録2:17
頌  栄  26
讃 美 歌  ウォーキングキング ウィズ ジーザス
主の祈り  93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷  司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  475
聖書朗読  ネヘミヤ7:72b-8:11(P736)
メッセージ  小菅 剛師
   「力の秘訣」

 

説 教 要 旨   
城壁工事は敵の攻撃の中で完成した。民は、第七の月(9〜10月)み言葉に渇き広場に集まって来た。霊的な渇きで、リバイバルの始めである。ネヘミヤとエズラは民に「主を喜びとすることこそ、あなたがたの力である」(8)と語る。ここに力の秘訣がある
1,喜びが来るまで主の前に静まりなさい:11
民は悲しみ、動揺した。しかし、神の前に静まりなさい。罪人は騒ぎ立て、静まることができない。「静まれ、私こそが神であると知れ」(詩46:11)。神を喜びとするまで静まりなさい。現代の課題は、力がないことではなく、静まることを奪われてしまうことである。忙しすぎて静まらない。神を喜びとできるまで主の前に静まろう。
2,赦しを与えて下さる主を喜ぼう:10
 律法の書とはモーセ五書である。夜明けから正午まで、はっきり朗読され、意味を明らかにした。 

ヘブル語が当時の使っているアラマイク語に訳され、説明され、民は律法の書を理解した。その結果、自分たちの罪深さが示され、嘆き、泣いたのである。「悲しむ人々は、幸いである。彼らは慰められる」(マタイ5:4)。「神の御心に適った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせ」(2コリント7:10)る。ネヘミヤとエズラは「悲しんではいけない」と言う。第七の月は贖罪日で、神が与えて下さる聖なる日で、赦しが告げられる。神は、罪に悲しむことのないように御子を十字架につけて、赦しを与えて下さった。この主を喜ぼう。環境で悲しんだり、喜んだりしないであなたの神、主を喜ぼう。
3,主は喜ぶ人に力を与えて下さる。
神は神を喜ぶ人に偉大な力を与えて下さる。その力は偉大である。ナイヤガラの滝の水以上に大きい。主を喜ぶ人は、日常の生活の困難さを乗り切る力が与えられる。

 

2022年6月19日 礼拝説教要旨

オープニング 
讃 美 歌   豊かな人生の条件
主の祈り  93−5B(P148)
開会祈祷  司会者
讃 美 歌  493
聖書朗読  第Uコリント12:1-11(P333)
メッセージ  小菅 剛師
   「わが恵み、汝に足れり」

 

説 教 要 旨   
 パウロは、ここで自分の弱さを誇っている。すごい生き方である。それは、弱い時こそ強い秘訣を与えられたからです。これは人生勝利の道でしょう。この秘訣は、「私の恵みはあなたに十分である」にあります。
1,神はパウロを信じられないことがある
 神は、パウロが高慢にならないとは信じません。パウロは、特別な経験が許されました(:1〜6)。彼の博学、熱心、努力などあらゆる面で優れた人でした。このように整った人は人から過大評価され、高慢になるものです。神はパウロを守るために肉体に一つの棘を与えられました。これは、サタンから送られた使いでパウロを苦しめました。パウロは、この苦しみから解放されるように神に祈りましたが、答えられませんでした。肉体の棘を取ったなら、パウロは高慢になるからです。

神は、あなたを守るため、高慢にならず、謙遜になるために肉体に棘を与えておられます。この棘は人により違います。
2,私の恵みはあなたに十分である
 パウロは、肉体に棘がある限り神の恵みが十分であると思えなかったでしょう。しかし、神の恵みは、砕かれた謙遜な心に与えられます。パウロは、この棘によって高慢ならず謙遜にさせられました。神は、パウロに徹底的に弱さを知らされます。これは辛いことです。棘は、罪、今内にある弱さ、肉体の病かも知れません。霊的な内なる弱さかもしれません。神はそのパウロに、罪の赦しと臨在と徹底的に愛される愛を注がれました。「神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお与えになる」(ヤコブ5:5)。特別な経験をし、用いられるパウロに神は謙遜にして、力を与えられました。私が強くなるのではなく、神が私を強くしてくださることを学び続けるのでした。だから、弱さを喜んで誇ったのです。

 

2022年6月12日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  使徒言行録2:17
頌  栄  26 
讃 美 歌   威光・尊厳・栄誉
主の祈り  93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷  司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  343
聖書朗読  歴代誌下16:1-10(P677)
メッセージ  小菅 剛
「主と心を一つにする者に」

 

説 教 要 旨   
 ペンテコステの日、弟子たちは心を合わせて祈っていた。仲間たちと心を合わせ、神の約束に心を合わせた時に聖霊は臨み、力を受けて復活の証人となった。主と心を一致させえることが力の秘訣である。
1,主の目は、力を与えたいと動いている
ユダヤの王アサは、主の目に適うことを行った。クシュの国が大軍でユダを責めて来た時、アサ王は神に叫び助けを求めて勝利を得た(14:1〜11)。主の目は、主を呼び求める者に力を与えようと全地を行きめぐっている。この目から隠れている人はいない。主に信頼して待ち望む者に、主は力を現わされる(イザヤ40:27〜31)。あなたに主の目は注がれている。
2,晩節を汚したアサ王
晩節を汚したアサ王がここに出る。ユダの繁栄とイスラエルからの人口流失を防ぐために、イスラエルの王バシャはラマを補強した。

アサ王在位41年(:13)で死を迎える5年前のことである。アサ王は、神を頼りとせず、北のアラム王ベンハダトに金銀を送り、イスラエルを攻めさせた。バシャは、ラマを放棄して北に向かった。アサ王はうまくいったと思ったが、これは失敗であった。神は、この時アラムをもアサ王に渡そうと思っておられたが、逆にアラムの脅威を受けることになる。平和であったユダは、イスラエルと戦争が続くことになる(:9)。アサ王は、これを諫めた預言者ハナニを獄に入れ、足の重病の時も神を求めず、医者にのみ頼った。晩節を汚さないように心したい。
3,力の秘訣
主と心を一つにするものに神は力を現わされる。主の心は聖書と祈りで知る。心を合わせるには、自我が十字架につけられていることを信じ、聖霊に従おう。

2022年6月5日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  使徒言行録2:17
頌  栄  26
讃 美 歌  日の昇るところから
主の祈り  93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷  司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  342
聖書朗読  使徒1:3-8,2:1-4(P209)
メッセージ  小菅 剛師
  「一同は聖霊に満たされて」

 

説 教 要 旨   
 「神学なき体験は妄想、体験なき神学は空虚」と言った神学博士渡辺善太は、「バックストンの聖霊体験は、穏健にして健全」と言いました。この流れに羊ヶ丘教会はあります。ペンテコステの恵みは繰り返され、羊ヶ丘教会にペンテコステの恵みを求めつつ、神を礼拝しましょう。
1,五旬節の日が来て
「日が来て」とは時が満ちての意味です。神は預言者ヨエルを通してペンテコステを預言されました。その預言の成就の日が来たのです(ヨエル3章、使徒2:16〜21)。神が約束を成就される真実な神であることが証明されました。人々は、経済や社会問題を常に関心を持ちます。しかし、神は一人の人の救いに関心を持たれます。このために計画し、時が満ちて、時間通りに実行され、人の救いを開始された日がペンテコステです。

2,一同は聖霊に満たされて
これまで、神はサムソン、サウル、ダビデ、預言者など特別な人に聖霊を与えられました。私たちは除外されていました。しかし、この日すべての人に神は聖霊を与えられました。ALL AND ONE。集まっていた人は漁師、徴税人、罪人、名もなき無学、女性たち、弱く、力なく、無きに等しい者たちでした(1コリント1:26〜29)。異邦人にもペンテコステが与えられました(使徒11:17〜18)。あなたに与えられる恵みです。
3,キリストの証人となる
ペンテコステは、人をキリストの証人、それも復活の証人にします(1:8,22)。復活のイエスを500人以上の人が見ました(1コリント15:6)。しかし、聖霊を受けた120人だけがイエスの復活の証人になりました(2:23〜32,3:15,4:2,10,5:30〜32,10:40・・・)。イエスの復活の証人となるために聖霊を受けましょう。