2022年12月25日 礼拝説教要旨

前  奏  チョ ヘジョン 師
招  詞  イザヤ60:1
頌  栄  28
讃 美 歌  267(1)
主の祈り 93−5B(P148)
開会祈祷  司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  265(1)
聖書朗読 ルカ2:8-14(P102)
メッセージ  小菅 剛師
    「救い主の誕生」

 

説 教 要 旨
 クリスマスは、救い主の誕生です。過去の誕生は、今日のあなたの恵みです。クリスマスは、大きな恐れから大きな喜びに変わる日です。
1,大きな恐れ:1〜9
 生きることは恐れと不安を道連れにします。恐れには不健全な恐れと健全な恐れがあります。ほとんどは不健全な恐れの中で生きています。しかし、健全な恐れがあります。それは、まことの神を意識した時の恐れです。夜の静寂を破るかのように天使が羊飼いに現れ、主の栄光が彼らの周りを照らしました。羊飼いたちは、「非常に恐れた」とあります。これは健全な恐れです。彼らは、そこに神を意識させられたのです。エデンの園で神が近づいて来られたとき、アダムとエバは恐れ、木の葉の陰に隠れました。罪を犯した人間が神を意識した時に起きる恐れは健全な恐れと言って良いのです。現代人、この恐れを忘れてしまいました。とても残念です。

2,大きな喜び:10〜14
 天使はよろこんで福音を伝えるために羊飼いに走ります。貧しさは多くの争いのもとです。わたし自身の心の貧弱さは内に戦いを常に感じます。貧しさは、家庭のもめごと、争いの種となります。争いは貧しさから良く来ます。国が争いを起こすときは国の貧しさを表します。 
天使は、神を恐れ、自分の罪を恐れる羊飼いに、救い主の誕生を伝えます。あなたは、自分は救われる必要がないと思っておられるかもしれませんが、神はあなたが救われなければならないと見ておられます。どちらが正しいのでしょうか。「罪の支払う報酬は死です」(ローマ6:23)。飼い葉桶のしるしは、生まれた救い主は、預言されていたメシアであり、やがて十字架に架けられる予表でした。救い主の誕生による罪の赦しは大きな喜びです。

2022年12月18日 礼拝説教要旨

オープニング
讃 美 歌  58(1)
主の祈り 93−5B(P148)
開会祈祷  司会者
讃 美 歌  248(1)
聖書朗読  マタイ1:18〜24(P1)
メッセージ  小菅 香世子師
 「神は私たちと共におられる」

 

説 教 要 旨
1、ヨセフの事情
 クリスマスの恵みを陰で支えた人々が福音書に出てきます。ヨセフもその一人でした。婚約していたマリアが聖霊によって身ごもった時、ひそかに離婚しようと思いました。それはヨセフの愛の配慮でした。しかし、その決心が一晩で変わるのです。夢に現れたみ使いの言葉は驚くべきことでした。マリアから生まれる男の子は「自分の民を罪から救う」子であり、それはイザヤ7:14の預言の成就だというのです。ダビデ王の末裔でもあるヨセフはこのことはメシアの誕生だと知ったのです。夢から目覚めた時、マリアを妻に迎えたのです。
2、イザヤの時代では
 み使いの語ったイザヤ7:14の時代はイスラエルの国にとって暗い時代でした。アラムとエフライム(北王国)が同盟を結んだのです。これはユダ(南王国)にとって大変な脅威でした。森の木々が風に揺れ動くように人々は動揺しました。

その時主ご自身がしるしを与えてくださったのです。「おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」と。インマヌエルとは「神は私たちと共におられる」という意味です。これがメシア誕生の預言ともなりました。神様は苦しみ悩む人々と共におると言われるのです。
3、神が共におられる
 神様は霊的なお方であります。このお方が共に居られるとはどのような事でしょう。モーセの時代、荒野の旅において神は会見の幕屋においでくださり「主の栄光が幕屋に満ちた。」(出エジプト40:34)とあります。荒野の旅において常に神は共においで下さいました。ヨセフにおいてしかり(創世記39:2)。ヨシュアにおいて(ヨシュア1:17)。サムエルにおいて(サムエル3:19)。ダビデにおいて(サムエル上18:14)。確かに神は神により頼む者たちと共におられます。イエス様が来られ、この恵みはより鮮明になりました。信じる一人ひとりの内に宿ってくださるのです。(1コリ6:19)

2022年12月11日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  Tペトロ2:9
頌  栄  26
讃 美 歌   ハッピネスは幸せのこと 主の祈り 93−5B(P148)
開会祈祷  司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  236(1)
聖書朗読  黙示録22:16−21(P467)
メッセージ  小菅 剛師
「 私はすぐに来る 」

 

説 教 要 旨
 「アーメン、主イエスよ、来りませ」は聖書の最後の祈りです。主の祈りで「御国が来ますように」と同じ内容の祈りです。約束にすぐに応答できる私でありたい。この祈りは、わたしたちの行きつくところの祈りです。
贖いを成し遂げられてイエスが昇天されるとき、弟子たちは雲に包まれて父のもとに帰って行かれたイエスを淋しい思いで、天を見つめていました。天使は「イエスはまたお出でになる」とこの弟子たちに告げるのでした(使徒1:9〜11)。マッカーサーが悔しい思いでふるさとフェリピンを去る時、「I shall return」を言い残しました。再び彼はフィリイピンに来て敵から解放しました。この祈りは、次の事によって切実な祈りとなります。
1、黙示録を読む人によって:16
(1)イエスが世界を支配される王であることを知ることによって祈りが出ます(1:12〜18)

(2)殉教者の祈りを聞くとき(6:9〜11)
(3)神の国の栄光を見る時(21章、22章)
これは、主イエスが来られる時に実現します。教会は再臨を待望して「主イエスよ、来りませ」と祈ります。
2,「私はすぐに来る」との約束を信じるときに:20
(1)三回「私はすぐに来る」(:7、12、20)と出てきます。この「すぐ」と「時は迫っている」(1:3)と「すぐに起こるべきこと」(22:6)が心に響き、「この黙示録の真実を知る時(:18〜19)、「アーメン、主イエスよ、来りませ」と祈りが出てきます。
(2)渇いている人が祈ります(:16〜17)
イエスを蔑まれたキリストにしか目が開かれず、「霊と花嫁が共に言う。『来りませ』と切実な祈りがでないキリスト者が、命の水(聖霊)に示されるときにこの約束に目が開かれ、来りませ」と祈ります。

2022年12月4日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  Tペトロ2:9
頌  栄  26
讃 美 歌  231(1)
主の祈り 93−5B(P148)
開会祈祷  司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  175(1)
聖書朗読  黙示録2:1−7(P441)
メッセージ  小菅 剛師
「 初めの愛に帰れ 」

 

説 教 要 旨
 驚くことに、神の裁きがこの世からではなく教会から始めています。イエスは、自分の目にある丸太を取り除け、そうすれば人の目のチリを取り除くことができると言われました。7つの教会の目にある丸太からまず神は取りかかられ、それから世の罪が裁かれて行きます。7つの教会の最初、エフェソの教会を見ましょう
1、神の称賛があります:2〜3
(1)愛の業がありました。教会は、愛の行いと労苦と忍耐がありました。教会は、人に知られず、報われない愛の労苦と忍耐を神は知り、賞賛されます。
(2)正統信仰に立っていました。偽りの教えを見抜く力があり聖書をよく読み、教えを守っていました(:6)。
(3)迫害や批判に耐え、疲れ果てることはなかった。

2、しかし、神の叱責があります:4〜5
 愛の業、正統信仰、迫害に耐えていたエフェソの教会に「しかし、言うべきことがある」と叱責されます。
(1)教会は「初めの愛から離れてしまった」のです。これは、霊的、致命的な問題です。
(2)初めの愛とは「私は覚えている。あなたの若い頃の誠実を、花嫁の時の愛を、種まかれない地で、荒れ野であなたが私に従って来たことを」(エレミヤ2:2)。
(3)救われた当時、多くの欠点や弱さがありましたが、ただ神の愛と十字架の愛に迫られ、純で精一杯の行いがありました。力を尽くして、思いを尽くして、心を尽くして神を愛したころの行いが義務と習慣なマンネリ化した行いになりました。これは、信仰者の致命的な問題です。神はこれを叱責されました。
3,神の勧めがある。悔い改めなさい:5〜7
 コロナ感染で教会が衰退、消えることはありません。ただ初めの愛から落ちたなら、燭台(教会1:20)は取り除くと言われます。初めの愛に帰り神の楽園に入ろう。

2022年11月27日 礼拝説教要旨

前  奏  チョ ヘジョン 師
招  詞  Tペトロ2:9
頌  栄  26
讃 美 歌  我らの主に向かって(1)
主の祈り 93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷   司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  241(1)
聖書朗読  マラキ3:6-12(P1477)
メッセージ   小菅 剛師
    「私に立ち帰れ」

 

説 教 要 旨
 マラキ(我が使者)書は、は旧約聖書の最後の書(BC400年ころ)です。新約時代に入るまでを中間時代と呼ばれ、苦難の中でメシア待望が熟します。今日のテキストから、三つの「私」とある神について語ります。
1,私は主である。変わることはない。:7
(1)主の不変性で、7節の人々と対比されています。
(2)主は、何が変わらないのでしょうか。神のヤコブへの愛です。本来兄エソウが愛されるはずなのに「しかし、私はヤコブを愛し」(1:2)と言われます。滅ぼされて仕方のない(1章、2章で)「ヤコブの子らよ、あなたがたも滅びることがない」と言われます。
(3)マリヤは「そのいつくしみは代々限りなく・・慈しみを忘れず」(ルカ1:50、54)と歌いました。
2,私に立ち帰れ:7
「返れ」ではなく「帰れ」と神は言われます。もといた場所に戻ることです。これを悔い改めると言います。

(1)バプテスマのヨハネの預言でマラキ書は終わります(3:1,23,24とルカ1:17)。ヨハネは民に悔い改めのメッセージを語りました(ルカ3:3)。
(2)悔い改めるとは、自分を探り、内省し裁くことではありません。招いておられる神のもとに立ち帰る事です。そこには、赦しがあります。
3,私を試してみよ:10
(1)「あなたがたの神、主を試してはならない」(申命記6:16)と命じられ、イエスも悪魔の試みを受けられた時、申命記の言葉を引用されて、主を試されませんでした。試す側と試される側はどちらが上でしょうか。
(2)神を試すこと許可されたのはここだけです。
(3)試す内容は一つだけ。ただ十分の一を神にささげて神が天の窓を開くかを試みなさいと言われました。あなたに天の窓が開かれた生涯をお祈りします。

2022年11月20日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  Tペトロ2:9
頌  栄  26 
讃 美 歌  豊かな人生の条件(1)
主の祈り 93−5B(P148)
開会祈祷  司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  新聖歌108(1)
聖書朗読 Tヨハネ4:7-12(P433)
メッセージ  小菅 剛師
  「互いに愛し合いなさい」

 

説 教 要 旨
 梅の木と桃の木を間違う事がっても梅と桃の実でその木を間違う人はいません。イエスの賢さは「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ」(マタイ7:17)と言われ、木が何であるかに重点を置かれました。しかし、私たちの愚かさは、私が良い木になることより、良い実を結ぶことに気を使い努力し疲れることです。家庭の平和や、穏やかな日々と言う実を求めますが、自分が良い木になることを後回しにしやすいのです。
1,わたしたちは、互いに愛し合いましょう
 互いに愛し合うことが勧められています。愛は、ギリシア語でエロス(男女の愛)、フェリオ(友情愛)、ストルゲー(母親の愛)がありますが、ここではアガペーが使われています。この愛は、私たちの内からは出て来ません。なぜなら、この愛は、神が持っておられる愛であり、私たちに神が与えて下さることによってのみ持つことができる愛だからです。この愛で愛する奨励です。

2,神はあなたを愛(アガペー)されました。
 私たちの愛は、そこに価値を見出した時に生まれる条件付きの愛です。しかし、神の愛は無条件の愛です。神が先ずあなたを愛されました。「私たちの罪」(:10)とは、神を無視し、神に反抗し、神に喜ばれない欲望と自己中心である心の腐敗です。しかし、神は罪深い私たちを愛されました。独り子であるイエスをこの世に送られ、罪の宥めの供え物として十字架に架けられました。これにより、罪は赦され、生まれ変わり、神の子とされました。神の子となった私たちは、神の愛を知り、神の模範の愛を知り(:11)、神の愛が心に注がれます。愛し合う時、神の愛がわたしたちの心に完成されます。新生した人は、神の愛の心が与えられて互いに愛する人になります。このとき、世の人は、神がおられることを悟ります。

2022年11月13日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  Tペトロ2:9
頌  栄  26
讃 美 歌   神さまといつも一緒
主の祈り 93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷  司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌   105
聖書朗読   ゼカリヤ8:1-13(P1463)
メッセージ   小菅 剛師
「広場(アゴラ)に子どもたちが」

 

説 教 要 旨
 今日は、幼児祝福礼拝す。日本では、第二の日曜日、七・五・三です。お宮で祈祷しもらい千歳飴をもらいます。ユダヤでは、三歳が乳離れしで、ハンナは息子サムエルを祭司に連れて行きました(サムエル上1:24)。両親は五歳から一緒にエルサレムの祭りに連れて行きました(ルカ2:41)。7歳から教育を受けさせ律法を教えました。イエスは、神の国は幼子のようなものであると言って、幼子を抱いて手を置いて祝福されました(マルコ10:16)。親は子どもに世の幸せ以上のことを求めました。
1、主の激しい妬みの約束:1〜3
 この章には、万軍の主が15回出てきます。力ある主の約束です。「シオンのために大いなる妬みを起こし、大いなる憤りをもってシオンを妬む」(:2)とあります。人間の妬みは愛と罪が混ざっています。ピラトはと人がイエスを十字架につける理由を妬みの為と見破りました(マタイ27:18)。

妬みは骨を腐らせる(箴言14:30)、神の妬みは罪がなく、強い愛を表します。この未来の約束は神の愛と力によって実現されます。
2、アゴラヴィジョン:4〜19
 4,5節に広場が出てきます。広場は公園、空き地を指しません。古代都市においてアゴラは、人々が集まり、商談をし、裁判所がありました。活気ある広場がアゴラです。そこに老人と子供が満ちると万軍の主は言われました。そのために、日の昇るところから、日の沈む地から我が民を救い連れ出すと言われます(:7〜8)。アゴラヴィジョンに立ち、「勇気を出せ」(:9、13)と言われます。少子、高齢社会に神の約束は希望と喜びを与えます。
3、信仰に立ちましょう
 「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認する」(ヘブライ11:1)。望みとは神の約束、ヴィジョンです。信仰は神の約束を確信しましょう。

2022年11月6日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  Tペトロ2:9
頌  栄  26
讃 美 歌  明日を守られるイエス様
主の祈り  93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷   司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  573
聖書朗読 Uペトロ3:1−13(P427)
メッセージ    小菅 剛師
  「 再臨と宣教 」

 

説 教 要 旨
 この手紙はペテロが世を去る時が近いことを知り、私たちの信仰を鼓舞するために書きました(1:13,14。3:1)。パウロは、この手紙を書いて殉教します。
1,再臨待望は信仰を奮い立たせます:1〜2
 イエスは弟子たちに再臨を約束されました。「人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、その時、それぞれの行いに応じて報いるのである。」(マタイ17:27)。それを保証するために、イエスはご自身の威光をペテロに見せられました(マタイ17:1〜5)。ペテロは、このイエスの目撃者であり、再臨は確かであると伝えます(1:16〜18)。イエスは再臨について多く語られ(マタイ24章25章)、裁判で再臨を語り死刑が決まりました(マタイ26:63〜68)。再臨待望は信仰が奮い立つ理由です。

2,再臨待望は敬虔な生涯に奮い立たせます:11
(1)終わりの日に再臨を嘲る人が起きます。敬虔な生涯を欲望と放縦の生活に変える人びとが起きるのです。再臨待望は敬虔な生活へと励まします(1:3〜7)。
(2)ノアの洪水の時に、世は水で滅ぼされましたが、今の天地は火で焼き尽くされます(:7,10,12)。天から火が降り、宇宙の調和が崩れ、マグマが一斉に噴出して焼き尽くされることでしょう。私たちが住むこの世界は焼き滅ばされるのです。ですから、私たちは寄留者として(1ペテロ1:1)再臨に備えて敬虔に生きます。
3,再臨待望は宣教に奮い立たせます:9,12
 神は一人も滅びることのないように敢えて再臨を遅くしてくださっています。ペテロは再臨が「来るのを早めなさい」と言います。どうして、再臨を早めることができるのでしょうか。イエスは「御国の福音は、・・・全世界に宣べ伝えられる。それから終わりが来る」(マタイ24:14)と言われました。神は、終わりの日に聖霊を降して、宣教に励まされます。再臨こそ宣教に燃えさせます。

2022年10月30日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  Tペトロ2:9
頌  栄  26
讃 美 歌  君は愛されるため生まれた
主の祈り 93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷  司会者
讃 美 歌   390
聖書朗読  Tペトロ2:9(P420)
メッセージ    小菅 剛師
  「あなたがたは神の民です」

 

説 教 要 旨
 明日は宗教改革記念日。一人の魂がキリストの愛に捕らえられた時、彼は変わった。「キリストの贖いの業を通して神の恵みにより価無しで義とされる」(ローマ3:24)は人を造り変えた。「自ら(イエス)、私たちの罪を、十字架の上で、その身に負ってくださいました。・・・私たちが義に生きるため(神の前に正しい関係を持つ)です」(1ペテロ2:24)。
1,神の民にされた恵み
「かつては神の民でなかったが今は神の民」(:10)です。
エジプトで奴隷であった民が、モーセによって導かれ、エジプトの支配から解放された民は「わたしの宝、‥祭司の王国、聖なる国となる」(出エジプト19:5〜6)。罪の奴隷でしたが、キリストの贖いによって神の民とされました。神の子たちの集まりです。 

2、神の民の恵み
 ここには、キリスト者と教会の恵みが簡潔明瞭に記されています。なんと喜びある肩書でしょう。
(1)選ばれた民。神の決定。1コリント1:26〜31
(2)王の祭司。神の王国の祭司。世人を神にとりなす。
(3)聖なる国民。他の国民と分離され使命を持つ民。
(4)神のもの。代価をもって買い取られた神のもの。
3、神の民の使命
 神の民は、この世で使命が与えられています。これは、キリストを証しする使命です。闇から光に招生き入れて下さった方を広く伝える使命です。
(1)復活のイエスが弟子に命じられた使命です
(2)喜びのある使命です。個人の体験が伴う使命です
(3)教会がこの世に存在する使命です
神は聖なる尊い使命を授けてくださいました。神の全権大使として世に遣わされています。使命を果たそう。

2022年10月23日 礼拝説教要旨

前  奏  チョ ヘジョン 師
招  詞  Tペトロ2:9
頌  栄  26
讃 美 歌  賢い人と愚かな人
主の祈り  93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷   司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  56
聖書朗読 ヤコブ1:19−27(P412)
メッセージ   小菅剛師
   「御言葉の力」

 

説 教 要 旨
 祈りと御言葉(神の言葉を「御」をつけて表現します)を行うことは信仰の両輪です。ヤコブは祈りの人でした(1:5,4:3、5:13〜18)。また、ヤコブは、御言葉を実践する人でした(1:22,2:14)。ヤコブは、御言葉を実行する秘訣を読者に語ります。それは、御言葉の力を知ることです。御言葉に二つの力があります。
1,御言葉には魂を救う力がある:21
 ヤコブは先ず、御言葉を聞くことを優先するように語ります。まず、神の言葉を聞き、語る事、怒ることは遅くしなさいと勧めます。イエスは、「耳のあるものは聞きなさい」(マタイ13:9)と言われ、「信仰は聞くことから、聞くはキリストの言葉によって起るのです」(ローマ10:17)とあります。聞いたなら、御言葉を素直に受け入れましょう。イエスの種まきのたとえで良い地に落ちた種は実を結ぶと言われました(マタイ13:8)。 

当時、「ベレア人」と言う言葉が教会にありました。それは御言葉を素直に受け入れ実を結ぶ人たちを指した言葉でした(使徒17:11)。み言葉は、罪人の魂を救います。「真理の言葉によって私たちを生んで下さいました」(1:18)。「十字架の言葉は、・・・神の力です」(1コリント1:18)。新しい人に造り変える力が御言葉にあります。
2,御言葉を実行させる力があります:25
 御言葉に対して、聞かない人、聞いて行わない人、聞いて行う人の三種類がいます。御言葉を行うことに、私たちは無力感や弱さを感じます。ヤコブは、新生した人には「自由の律法(御言葉)を一心に見つめて離れずにいる人・・行う人になります」と実行の秘訣を語ります。それが御言葉の力です。神は、御言葉を通して私たちの心に力を与えて下さるのです。新生した魂は、御言葉を見つめる時、御言葉が力となり、実行する人になります。