2022年11月27日 礼拝説教要旨

前  奏  チョ ヘジョン 師
招  詞  Tペトロ2:9
頌  栄  26
讃 美 歌  我らの主に向かって(1)
主の祈り 93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷   司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  241(1)
聖書朗読  マラキ3:6-12(P1477)
メッセージ   小菅 剛師
    「私に立ち帰れ」

 

説 教 要 旨
 マラキ(我が使者)書は、は旧約聖書の最後の書(BC400年ころ)です。新約時代に入るまでを中間時代と呼ばれ、苦難の中でメシア待望が熟します。今日のテキストから、三つの「私」とある神について語ります。
1,私は主である。変わることはない。:7
(1)主の不変性で、7節の人々と対比されています。
(2)主は、何が変わらないのでしょうか。神のヤコブへの愛です。本来兄エソウが愛されるはずなのに「しかし、私はヤコブを愛し」(1:2)と言われます。滅ぼされて仕方のない(1章、2章で)「ヤコブの子らよ、あなたがたも滅びることがない」と言われます。
(3)マリヤは「そのいつくしみは代々限りなく・・慈しみを忘れず」(ルカ1:50、54)と歌いました。
2,私に立ち帰れ:7
「返れ」ではなく「帰れ」と神は言われます。もといた場所に戻ることです。これを悔い改めると言います。

(1)バプテスマのヨハネの預言でマラキ書は終わります(3:1,23,24とルカ1:17)。ヨハネは民に悔い改めのメッセージを語りました(ルカ3:3)。
(2)悔い改めるとは、自分を探り、内省し裁くことではありません。招いておられる神のもとに立ち帰る事です。そこには、赦しがあります。
3,私を試してみよ:10
(1)「あなたがたの神、主を試してはならない」(申命記6:16)と命じられ、イエスも悪魔の試みを受けられた時、申命記の言葉を引用されて、主を試されませんでした。試す側と試される側はどちらが上でしょうか。
(2)神を試すこと許可されたのはここだけです。
(3)試す内容は一つだけ。ただ十分の一を神にささげて神が天の窓を開くかを試みなさいと言われました。あなたに天の窓が開かれた生涯をお祈りします。

2022年11月20日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  Tペトロ2:9
頌  栄  26 
讃 美 歌  豊かな人生の条件(1)
主の祈り 93−5B(P148)
開会祈祷  司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  新聖歌108(1)
聖書朗読 Tヨハネ4:7-12(P433)
メッセージ  小菅 剛師
  「互いに愛し合いなさい」

 

説 教 要 旨
 梅の木と桃の木を間違う事がっても梅と桃の実でその木を間違う人はいません。イエスの賢さは「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ」(マタイ7:17)と言われ、木が何であるかに重点を置かれました。しかし、私たちの愚かさは、私が良い木になることより、良い実を結ぶことに気を使い努力し疲れることです。家庭の平和や、穏やかな日々と言う実を求めますが、自分が良い木になることを後回しにしやすいのです。
1,わたしたちは、互いに愛し合いましょう
 互いに愛し合うことが勧められています。愛は、ギリシア語でエロス(男女の愛)、フェリオ(友情愛)、ストルゲー(母親の愛)がありますが、ここではアガペーが使われています。この愛は、私たちの内からは出て来ません。なぜなら、この愛は、神が持っておられる愛であり、私たちに神が与えて下さることによってのみ持つことができる愛だからです。この愛で愛する奨励です。

2,神はあなたを愛(アガペー)されました。
 私たちの愛は、そこに価値を見出した時に生まれる条件付きの愛です。しかし、神の愛は無条件の愛です。神が先ずあなたを愛されました。「私たちの罪」(:10)とは、神を無視し、神に反抗し、神に喜ばれない欲望と自己中心である心の腐敗です。しかし、神は罪深い私たちを愛されました。独り子であるイエスをこの世に送られ、罪の宥めの供え物として十字架に架けられました。これにより、罪は赦され、生まれ変わり、神の子とされました。神の子となった私たちは、神の愛を知り、神の模範の愛を知り(:11)、神の愛が心に注がれます。愛し合う時、神の愛がわたしたちの心に完成されます。新生した人は、神の愛の心が与えられて互いに愛する人になります。このとき、世の人は、神がおられることを悟ります。

2022年11月13日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  Tペトロ2:9
頌  栄  26
讃 美 歌   神さまといつも一緒
主の祈り 93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷  司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌   105
聖書朗読   ゼカリヤ8:1-13(P1463)
メッセージ   小菅 剛師
「広場(アゴラ)に子どもたちが」

 

説 教 要 旨
 今日は、幼児祝福礼拝す。日本では、第二の日曜日、七・五・三です。お宮で祈祷しもらい千歳飴をもらいます。ユダヤでは、三歳が乳離れしで、ハンナは息子サムエルを祭司に連れて行きました(サムエル上1:24)。両親は五歳から一緒にエルサレムの祭りに連れて行きました(ルカ2:41)。7歳から教育を受けさせ律法を教えました。イエスは、神の国は幼子のようなものであると言って、幼子を抱いて手を置いて祝福されました(マルコ10:16)。親は子どもに世の幸せ以上のことを求めました。
1、主の激しい妬みの約束:1〜3
 この章には、万軍の主が15回出てきます。力ある主の約束です。「シオンのために大いなる妬みを起こし、大いなる憤りをもってシオンを妬む」(:2)とあります。人間の妬みは愛と罪が混ざっています。ピラトはと人がイエスを十字架につける理由を妬みの為と見破りました(マタイ27:18)。

妬みは骨を腐らせる(箴言14:30)、神の妬みは罪がなく、強い愛を表します。この未来の約束は神の愛と力によって実現されます。
2、アゴラヴィジョン:4〜19
 4,5節に広場が出てきます。広場は公園、空き地を指しません。古代都市においてアゴラは、人々が集まり、商談をし、裁判所がありました。活気ある広場がアゴラです。そこに老人と子供が満ちると万軍の主は言われました。そのために、日の昇るところから、日の沈む地から我が民を救い連れ出すと言われます(:7〜8)。アゴラヴィジョンに立ち、「勇気を出せ」(:9、13)と言われます。少子、高齢社会に神の約束は希望と喜びを与えます。
3、信仰に立ちましょう
 「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認する」(ヘブライ11:1)。望みとは神の約束、ヴィジョンです。信仰は神の約束を確信しましょう。

2022年11月6日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  Tペトロ2:9
頌  栄  26
讃 美 歌  明日を守られるイエス様
主の祈り  93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷   司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  573
聖書朗読 Uペトロ3:1−13(P427)
メッセージ    小菅 剛師
  「 再臨と宣教 」

 

説 教 要 旨
 この手紙はペテロが世を去る時が近いことを知り、私たちの信仰を鼓舞するために書きました(1:13,14。3:1)。パウロは、この手紙を書いて殉教します。
1,再臨待望は信仰を奮い立たせます:1〜2
 イエスは弟子たちに再臨を約束されました。「人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、その時、それぞれの行いに応じて報いるのである。」(マタイ17:27)。それを保証するために、イエスはご自身の威光をペテロに見せられました(マタイ17:1〜5)。ペテロは、このイエスの目撃者であり、再臨は確かであると伝えます(1:16〜18)。イエスは再臨について多く語られ(マタイ24章25章)、裁判で再臨を語り死刑が決まりました(マタイ26:63〜68)。再臨待望は信仰が奮い立つ理由です。

2,再臨待望は敬虔な生涯に奮い立たせます:11
(1)終わりの日に再臨を嘲る人が起きます。敬虔な生涯を欲望と放縦の生活に変える人びとが起きるのです。再臨待望は敬虔な生活へと励まします(1:3〜7)。
(2)ノアの洪水の時に、世は水で滅ぼされましたが、今の天地は火で焼き尽くされます(:7,10,12)。天から火が降り、宇宙の調和が崩れ、マグマが一斉に噴出して焼き尽くされることでしょう。私たちが住むこの世界は焼き滅ばされるのです。ですから、私たちは寄留者として(1ペテロ1:1)再臨に備えて敬虔に生きます。
3,再臨待望は宣教に奮い立たせます:9,12
 神は一人も滅びることのないように敢えて再臨を遅くしてくださっています。ペテロは再臨が「来るのを早めなさい」と言います。どうして、再臨を早めることができるのでしょうか。イエスは「御国の福音は、・・・全世界に宣べ伝えられる。それから終わりが来る」(マタイ24:14)と言われました。神は、終わりの日に聖霊を降して、宣教に励まされます。再臨こそ宣教に燃えさせます。

2022年10月30日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  Tペトロ2:9
頌  栄  26
讃 美 歌  君は愛されるため生まれた
主の祈り 93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷  司会者
讃 美 歌   390
聖書朗読  Tペトロ2:9(P420)
メッセージ    小菅 剛師
  「あなたがたは神の民です」

 

説 教 要 旨
 明日は宗教改革記念日。一人の魂がキリストの愛に捕らえられた時、彼は変わった。「キリストの贖いの業を通して神の恵みにより価無しで義とされる」(ローマ3:24)は人を造り変えた。「自ら(イエス)、私たちの罪を、十字架の上で、その身に負ってくださいました。・・・私たちが義に生きるため(神の前に正しい関係を持つ)です」(1ペテロ2:24)。
1,神の民にされた恵み
「かつては神の民でなかったが今は神の民」(:10)です。
エジプトで奴隷であった民が、モーセによって導かれ、エジプトの支配から解放された民は「わたしの宝、‥祭司の王国、聖なる国となる」(出エジプト19:5〜6)。罪の奴隷でしたが、キリストの贖いによって神の民とされました。神の子たちの集まりです。 

2、神の民の恵み
 ここには、キリスト者と教会の恵みが簡潔明瞭に記されています。なんと喜びある肩書でしょう。
(1)選ばれた民。神の決定。1コリント1:26〜31
(2)王の祭司。神の王国の祭司。世人を神にとりなす。
(3)聖なる国民。他の国民と分離され使命を持つ民。
(4)神のもの。代価をもって買い取られた神のもの。
3、神の民の使命
 神の民は、この世で使命が与えられています。これは、キリストを証しする使命です。闇から光に招生き入れて下さった方を広く伝える使命です。
(1)復活のイエスが弟子に命じられた使命です
(2)喜びのある使命です。個人の体験が伴う使命です
(3)教会がこの世に存在する使命です
神は聖なる尊い使命を授けてくださいました。神の全権大使として世に遣わされています。使命を果たそう。

2022年10月23日 礼拝説教要旨

前  奏  チョ ヘジョン 師
招  詞  Tペトロ2:9
頌  栄  26
讃 美 歌  賢い人と愚かな人
主の祈り  93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷   司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  56
聖書朗読 ヤコブ1:19−27(P412)
メッセージ   小菅剛師
   「御言葉の力」

 

説 教 要 旨
 祈りと御言葉(神の言葉を「御」をつけて表現します)を行うことは信仰の両輪です。ヤコブは祈りの人でした(1:5,4:3、5:13〜18)。また、ヤコブは、御言葉を実践する人でした(1:22,2:14)。ヤコブは、御言葉を実行する秘訣を読者に語ります。それは、御言葉の力を知ることです。御言葉に二つの力があります。
1,御言葉には魂を救う力がある:21
 ヤコブは先ず、御言葉を聞くことを優先するように語ります。まず、神の言葉を聞き、語る事、怒ることは遅くしなさいと勧めます。イエスは、「耳のあるものは聞きなさい」(マタイ13:9)と言われ、「信仰は聞くことから、聞くはキリストの言葉によって起るのです」(ローマ10:17)とあります。聞いたなら、御言葉を素直に受け入れましょう。イエスの種まきのたとえで良い地に落ちた種は実を結ぶと言われました(マタイ13:8)。 

当時、「ベレア人」と言う言葉が教会にありました。それは御言葉を素直に受け入れ実を結ぶ人たちを指した言葉でした(使徒17:11)。み言葉は、罪人の魂を救います。「真理の言葉によって私たちを生んで下さいました」(1:18)。「十字架の言葉は、・・・神の力です」(1コリント1:18)。新しい人に造り変える力が御言葉にあります。
2,御言葉を実行させる力があります:25
 御言葉に対して、聞かない人、聞いて行わない人、聞いて行う人の三種類がいます。御言葉を行うことに、私たちは無力感や弱さを感じます。ヤコブは、新生した人には「自由の律法(御言葉)を一心に見つめて離れずにいる人・・行う人になります」と実行の秘訣を語ります。それが御言葉の力です。神は、御言葉を通して私たちの心に力を与えて下さるのです。新生した魂は、御言葉を見つめる時、御言葉が力となり、実行する人になります。

2022年10月16日 礼拝説教要旨

前  奏 
讃 美 歌  豊かな人生の条件
主の祈り  93−5B(P148)
開会祈祷    司会者
信仰の体験談  對馬充子姉
聖 歌 隊
讃 美 歌  493
聖書朗読  ルカ19:1-10(P144)
メッセージ  薮野潤一師
   「あなたを捜す方」

 

説 教 要 旨
 イエス様は十字架につけられるためにエルサレムへの旅を続けておられました。その旅の最後の出来事がザアカイの救いでした。イエス様は最後の最後まで人を捜し求めて、救いに入れてくださいます。
1.孤独のザアカイ
  彼は「徴税人の頭で、金持ち」でした(2節)。しかし、町の人からは「罪深い男」としか評価してもらえませんでした(7節)。きっと親友もなく、孤独な人生を歩んできたことでしょう。ところがイエス様が来られると聞いて、一目会いたいと願い、先回りして木の上で待ちました(4節)。
2.探し求める主イエス
 イエス様は彼を見上げて、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、あなたの家に泊まることにしている」と言われました(5節)。彼は喜んで迎え入れました(6節)。 

その晩、彼の内に変化が起こりました(8節)。彼が自力で変化したのではありません。イエス様が御力をもって彼に救いをお与えになり、彼を変えられたのです。
 イエス様は彼に言われました。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」と(9-10節)。「失われたもの」とは、本来神様のもとにいて神様との交わりの中にとどまるはずが、神様から離れてさまよい出た者のことです。イエス様はこの「失われたもの」を捜して見出し、救い出すためにこの世に来られました。
 今日、イエス様はあなたの人生の木の下をお通りになって、「急いで降りて来なさい。今日は、あなたの家に泊まることにしている」と声をかけて招いてくださいます。この方が与えてくださる尊い救いを素直に受け入れてください。

2022年10月9日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  Tペテロ2:9
頌  栄  26 
讃 美 歌  主の手足になろう
主の祈り  93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷   司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌  200
聖書朗読  ヨハネ4:31−38(P167)
メッセージ  小菅 剛師
「目を上げて畑を見るがよい」

 

説 教 要 旨
 日本は何時までも青々した畑で、収穫はできない失望感を持っています。イエスは、私たちを励まし、「刈る人も共に喜ぶ」(:36)、「ほかの人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている」(:38)と言われて、魂の収穫の時が来ている喜びを告げておられます。
1,目を上げて畑を見るがよい
 ここはサマリヤのシカルの町。周囲は麦畑です。「刈り入れまでまだ四か月ある」(:35)とありますから、時は12月頃でしょう。麦畑は、穂も出ず、葉が青々と茂っています。イエスは、収穫はまだ先と思うこの青々している畑から目を上げて、神の畑を見なさい、神の畑では、この青々している畑が、「すでに色づいて刈り入れを待っているではないか」と告げられます。目を上げて畑を見るとは、神の目には、青々としている畑が、色づいて収穫を待っていると言われたのです。

イエスが来られて、青々としている畑は色づいたのです。イエスの十字架と復活、聖霊の降臨で、み言葉が語られると、魂は一気に収穫ができると言われたのです。
2,サマリヤの女の実例
 イエスが来られて、青々としている畑は色づいたのです。イエスとサマリヤの女の会話がこの4章に出てきます。サマリヤの女は神を求めていたというのではなく、井戸の水を汲みに来ました。イエスが話しかけられる中で、女はこのイエスがキリストとわかり、救われたばかりか、サマリヤで証しさえしています(:26、29、39)。多分、1時間もかかっていなかったでしょう。即座の救いです。ザアカイも十字架上の強盗もそうです。日本人も神の目に黄金色に輝き、収穫を待っているのです。
3,あなたも神の目に
 あなたも、神の目に輝く黄金色として見て下っています。この喜びの中で、今週からの伝道を共にしましょう。現実の青々した畑が色づいていると見ましょう。

2022年10月2日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞  イザヤ41:10
頌  栄  26
讃 美 歌  雄々しくあれ
主の祈り  93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷  司会者
聖 歌 隊
新 聖 歌  455
聖書朗読  フィリピ1:27-30(P354)
メッセージ   小菅 剛師
「福音にふさわしい生活」

 

説 教 要 旨
 50年前、クルセードや伝道集会で「見よや十字架の旗たかし 君なるイエスはさきだてり 進めつわもの(兵)進み行き・・」(旧讃美歌379)がよく歌われました。なぜ、伝道集会に歌われるのか不思議に思いましたしかし、伝道集会が霊の戦いとわかり、この賛美を理解しました。今日のテキストに理解を与えてくれます。
1,福音にふさわしい生活
 パウロは福音宣教のために、牢獄に繋がれてこの手紙をローマからギリシャのフィリピに送りました。「ひたすら」とあります。「ただ一つのこと」の意味で、あれもこれもではなく、一つの事に心掛けなさい。それは福音を経験した人は、その福音にふさわしい生活をするように勧めます。これは、神が教会に勧めておられることです。

 

2,心を一つにして共に戦う
 福音にふさわしい生活とは何でしょうか。それは、教会が福音の信仰のために心を一つにして共に戦うことです。「福音の信仰のため」とは「キリストのため」(:29)と同じです。戦う教会です。「キリストの良い兵士として、苦しみを共にしてください」(2テモテ2:3)とありますが、キリスト者がキリストの兵士となり戦う教会を神は求めておられ、神はそのような教会を建てられます。
敵対者(:28)が教会にいます。私たちも以前は敵対者でしたが、今は、神の側に立つようになりました。教会が皆一つになって戦うなら、敵は敗北し、私たちには救いとなります。
心を一つにすることは難しいです。フィリピの教会は、信仰熱心なエボデアとシンティケの二人がなかなか一致できませんでした(4:2)。一致は、キリストの謙遜(2:6〜8)を心とするとき一致ができます。
3,キリストのために苦しむ恵み:29〜30
 パウロの苦闘を、今の時代にあなたがする番です。

2022年9月25日 礼拝説教要旨

招  詞  イザヤ46:4
頌  栄  26
讃 美 歌  歌い続けよう主の愛を
主の祈り 93−5B(P148)
使徒信条  93−4B(P146)
開会祈祷  司会者
聖 歌 隊
讃 美 歌   343
聖書朗読  エゼキエル36:22-32(P1337)
メッセージ   小菅 剛師
「神は自ら聖なることを示される」

 

説 教 要 旨
 ここには希望の神が出てきます。私たちの罪や失敗を越えて神は働かれることを知ることは恵みです。私たちの努力や熱心、まじめさによって神が聖であることが明らかになるのではありません。神自らそれを現わすと言われます。
1,神は聖なる名を自らのために現わされる:22〜23
 神の民は、聖なる民でありましたが、汚れた民となり、神の名も地に落ちてしまいました。それで、神は、民のためではなく神ご自身で、神が聖であることを示すと言われました。民の中で、神が聖であること示される時、諸国の民が神を知ると言われ、神のために行動を起こすと言われます。これは民の喜びです。
2,神が聖であることを示される方法:24〜32
 神がどのようにして自らを聖なるものであることを示されるのでしょうか。ここに、神の方法があります。

(1)神の民を集められることによって:24
(2)清い水を民に注ぐことによって:25
「1」偶像から清め神を神として崇めさせる:25
「2」新しい心と新しい霊が授けられる:26〜28
(イ)石の心が除かれ肉の従順な心となる:
(ロ)み言葉に従って歩む。掟と法を行う:27
(ハ)名実ともに神の民となり、神と交わる:28
(ニ)地の産物に実りが与えられる:29〜30
(ホ)犯した罪の行いを嘆き悲しむ:31
3,これは福音を指しています。
 清い水とは福音です。イエス・キリストと聖霊のよって神は民をきよめ、満たしてご自身が聖であることを自ら現わされます。十字架は、肉を取り除き、新しく生まれ変わらせ、神に従順な子たちを創造されました。聖霊に満たされて神の言葉に従おう。