2021年11月28日 礼拝説教要旨

前  奏 へジョン師
招  詞 ヨハネ黙示録22:20
頌  栄 25
讃 美 歌 236 
主の祈り 93−5B(P148)
使徒信条 93−4B(P146)
開会祈祷 司 会 者
讃 美 歌 573
聖書朗読 黙示録2:8-11(P441-442)
メッセージ 小菅  剛師
  「死に至るまで忠実であれ」

 

説 教 要 旨
今日からアドベントで主の再臨を心に留め、備えをする季節を迎えました。神は、7つの教会にメッセージを与え再臨の備えをするように勧めておられます。それは、再臨の時に「嘆き悲しむ」(1:7)ことのなく、喜びをもって「マラナ・タ」とお迎えできるためです。
1,死に至るまで忠実であれ(:10)
スミルナの教会には「死に至るまで忠実であれ」と語られ、これが再臨への備えです。スミルナはエフェソに次ぐ栄えた町です。どのように福音が伝えられて教会が建ちましたかはわかりません。この教会は苦難に会い、貧しい人たちが集まっていました。豊かな町の中でキリスト者は貧しかったのです。苦難とは、激しい悪魔の試み
です。貧しい物質的な試みと悪魔による信仰の二重の試みを受けていました。

悪魔は、キリスト者が信仰を放棄するように挑んできます。イエスが悪魔の試みに遭われ、神の子の力で勝利されず聖書を用いて勝利されました物語をスミルナの教会は深く心に留めて戦いました。
2,主は「知っている」(:9)
ここに二回言われます。真の豊かさとは神に知られていることです。神が貧しく試みを受けているキリスト者を顧み、守り、介入しておられます。神に知られても叱責も悔い改めの言葉もありません。神は小さい群れが忠実に信仰の戦いをしているのを知って「死に至るまで忠実であれ」と励まされています。
3,命の冠を授けよう
「ひとたび死んだが生き返った方」(:8)イエスが、命の冠を与えると言われます。この命の冠は、第二の死(20:11〜15)に出てくる火の池に投げ込まれない命です。慌てることなく、毎日の信仰生活を忠実に生きることが再臨の備えであると覚えて、忠実に生きましょう。

2021年11月21日 礼拝説教要旨

オープニング  伝 道 部
証  詞 小菅香世子師
主の祈り 93−5B(P148)
開会祈祷 司 会 者
讃 美 歌 371
聖書朗読 ヨハネ黙示録2:1-7(P441)
メッセージ 小菅  剛師
「再臨の備え・初めの愛に」

 

説 教 要 旨
黙示録は、メシアが雲に乗って来られ(1:7)世界を統治(1:12〜16)がテーマです。そのとき、メシアを信じなかった世界の人々は「嘆き悲しむ」(1:7)のです。この時後悔しても取り返しがつかず、神の裁きの座に私たちは立たされ行いに応じた裁きが行われます。黙示録は、再臨のキリストに備えをするように7つの教会にメッセージが送られます。7つの教会のすべてに共通して「耳のある者は、霊が諸教会に告げることを聞くがよい」(2:7,17,29,3:16,13,22)とあります。ですから7つのメッセージは世界の教会は聞かなければなりません。
1,最も大切なメッセージ
第一のメッセージはエフェソの教会に告げられます。それは、7つの教会の大きな教会であったからでも霊的センター的教会でも、政治経済の中心にある教会だからでもありません。

エフェソ教会が最も重要な事柄から落ちてしまったことに対する叱責を告げられるのです。
2,初めの愛にとどまれ
エフェソの教会は行いの労苦と忍耐がありました。偽預言者やニコライの教えなど異端を見破り正統信仰を保ちました(2,3,6)。表面は素晴らしいように見えました。しかし、「あなたは初めの愛を離れてしまった」(:5)と叱責を受けています。これは教会の致命的な事柄です。イエスは「私の愛にとどまりなさい」(ヨハネ15:9)と言われ、「私を離れてはなにもできない、私につながっていなければ、集められ、火に投げ込まれる」(15:6)と言われました。燭台が取り除けられる(:5)とはこのことです。イエスに出会ったころの愛を思え起こして、悔い改めて初めの行い、即ち、神を愛し、隣人を愛しなさいといわれました。教会の本質です。弟子たちを愛して、弟子の足を洗われたイエスの愛を思い起こそう。

2021年11月14日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞 ヨハネの黙示録22:20
頌  栄 25
讃 美 歌 18
主の祈り 93−5B(P148)
使徒信条 93−4B(P146)
開会祈祷 司 会 者
聖 歌 隊
讃 美 歌 371
聖書朗読 Uペテロ3:3-13(P428)
メッセージ 小菅  剛師
「愛の遅延」

 

説 教 要 旨   
終わりの日に、「主が来られると言う約束は、一体どうなっているのか」遅すぎると言い、再臨を疑い、否定します。再臨を嘲り、欲望に生きる人(背教者)が起きると預言されています。これにペテロは答えて「愛する人よ、この一事を忘れてはなりません」と語ります。
1,主の時間感覚:8
 主の時間と私たちの時間は違います。「一日は千年のようで、千年は一日のようです」。私たちも過ぎた年数とこれからの年数の違いを覚えるなら神はなおさらです。この計算なら、21世紀は三日目になります。
2,主の愛の遅延:9
 主は「1人も滅びないで、すべての人が悔い改める」ように再臨を伸ばしておられるのです。あなたと家族や周りの人が救われるように忍耐しておられるのです。

3,主の日は突然来ます:10
 ノアの時代は水で世界は滅ぼされました。その時まで誰も気づきませんでした。世の終わりも人々は気づかず、突然きます。そして、水ではなくは火で滅ぼされます(:6,7)。主の約束を信じて、備えましょう。
4,聖なる敬虔な生活を送る:11
 「然り、わたしはすぐに来る」に再臨信仰、「アーメン、主イエスよ、来たりませ」には再臨待望があります。再臨待望する人は、聖なる敬虔な生活を送り、いつお出でになられても迎える備えをして待ちます(:14)。
5,主の日を早めるとは:12
 再臨をどうしたら早めることができるでしょうか。それは、9節の神の御心を果たすことによって、即ち、福音を伝える事で再臨を早めることができます。
6,新しい天と地が現れます:13
 神の約束は、主の再臨(:4)と義の住む新天新地です。この神の国に向かって、今を生きているのです。

2021年11月7日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞 ヨハネの黙示録22:20
頌  栄 25
新 聖 歌 198
主の祈り 93−5B(P148)
使徒信条 93−4B(P146)
開会祈祷 司 会 者
聖 歌 隊
讃 美 歌 371
聖書朗読 マタイ16:21−28(P31)
メッセージ 小菅  剛師
「大いなる約束」

 

説 教 要 旨   
アドベント(待降節)を11月28日(日)に迎えます。アドベントは、クリスマスを待ち望むのではなく、キリストの再臨を待ち望みます。
1、大いなる希望の約束
 イエスは、2節にわたって人の子イエスは来る(:27,28)と言われました。これが教会の希望のです。
(1)父の栄光に輝いて来られる。一度目は、卑しい人の姿で来られました。二度目は、父の栄光に輝いて来られます。17章2節に栄光のイエスが出てきます。この栄光のイエスを見たペトロは、再臨が決して作り話でなく事実であると2ペトロ1:16〜18で語ります。
(2)天使と共にイエスは来られます。これは、世を支配する権威をもって来られることを表しています。
(3)御国と共に来られます。義の宿る新しい天と地である御国が実現します。

(4)「報い」(:27)とは、私たちがイエスと同じような人の子イエスが栄光のからだに変えられることです。
2,目を覚ましていなさい
「人の子が来るまでは、決して死なないものがいる」(:28)と言われ、再臨の時まで12使徒は生きていると言われました。これに関してマタイ10:23で、またイエスの裁判で「間もなく人の子が来る」(26:64)と語られました。初代教会は、一番若い弟子ヨハネが生きているうちに再臨はあると思いました(ヨハネ21:22〜23)。しかし、イエスは明日再臨されても備えができているようにと教えられた事を知りました。
3,マラナ・タ「主よ、来たりませ」1コリント16:22
 再臨への姿勢を10人のおとめのたとえで語られ、目を覚ましていなさい(25:1〜13)と教えられました。教会はマラナ・タ(アラマイク語)「主よ、来たりませ」と祈り、聖書の終わりもこの祈りです(黙示22:20)。

2021年10月31日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞 詩編119:130
頌  栄 25
讃 美 歌 204
主の祈り 93−5B(P148)
開会祈祷 司 会 者
聖 歌 隊
讃 美 歌 509
聖書朗読 詩編119:130(P948) ローマ1:17(P268)
メッセージ 小菅  剛師
  「み言葉が開かれると」

 

説教要旨
詩編119編130節に「み言葉が開かれると光が射し、無知なものに悟りを与えます」とあります。聖書が開かれるのではなく、み言葉が開かれると光が心に射します。まるで、扉が開かれて、暗い部屋に光が入ってくるように、無知な心に悟りを与える力があります。
今日は、宗教改革記念日です。1517年10月31日、マルチンルッターがドイツのウエッテンベルク教会に95項目の質問書を貼りました。これによって、ルッターは、み言葉から離れてしまった当時の教会を聖書に立ち返らせる働きでした。これは、ルッターの心にみ言葉が開かれ、聖書の真理が明らかにされた結果でした。
ルッターに「神の義はが福音の内に、真実により信仰へと啓示されているからです。『正しい者は信仰によって生きる』と書いているとおりです」のみ言葉が開かれたのでした。

ルッターの関心は、罪深い自分が神にどうして受け入れてもらえるかでした。この世を捨てて修道院に入り、難行苦行に匹敵する修道院規則に励みましたがますます罪に苦しみました。そのルッターに、「信仰によって生きる」のみ言葉が三回開かれたと言われています。死の病の中で、教会の祈りの部屋(教会の塔に祈りの部屋があり、塔の体験と言われる)で、最後にローマのサン・ジョバンニ・ラテラーノ教会の階段を膝を曲げて祈祷書によって一段一段登っている時でした。
 正しい人とは神との正しい関係を指します。それは、福音の中に啓示されました。福音とはイエス・キリストです(2,3節)。キリストが、罪の身代わりとなって十字架で神の怒りを受けて死んでくださり、三日目に復活されました。このキリストを信じる人を神は喜んで受け入れてくださいます。不道徳な生活をしていたアウグスチヌスも「闇の行いを脱ぎ棄て、光の武具を身につけましょう」(ローマ13:12)が開かれ変わりました。

2021年10月24日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞 詩編119:130
頌  栄 25
讃 美 歌 197 
主の祈り 93−5B(P148)
開会祈祷 司 会 者
讃 美 歌 294
聖書朗読 ルカ18:9-14(P142)
メッセージ 平林 直己師
  「神さま、私を憐れんで下さい」

 

説教要旨
神殿に上がった、二人の人の二つの祈りが神にささげられました。
1、ファリサイ派の人の感謝の祈り
私は、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でなく、また隣に立つ徴税人のような者でないことを感謝します。
2,徴税人の祈り
徴税人は、ファリサイ派の人から遠く離れて立ち、目を天に上げようともせず、ひと言「神様、罪人の私を憐れんでください」と祈りました。
3,では、イエスさまはこの二人をどのような眼差しで見ておられたのでしょうか?
イエスさまは、ファリサイ派の人のまじめな努力そのものを否定されているわけではありません。しかし、神様の恵みを得るために、義と認められるために一生懸命に頑張った、そのファリサイ派の人をお褒めになってはいません。

いえ、むしろそのような人たちを好ましく思っておられなかったように思います。自分が一生懸命努力しているのに、頑張っていない人たちと、頑張れない人たちに対して、見下すような態度を取るようになったからではないでしょうか(ルカ18:9)。
  人は罪深い者です。自分では気づかないでファリサイ派の人の心を内に秘めて歩んでいるかもしれません。
  罪深い生活に悩み、また、どうしても勝てないような人生の様々な問題、課題を抱えている方が沢山おられると思います。そうした現実に真正面から向き合うとき、私たちの口から出る祈りは「神様、罪人の私を憐れんでください」(:13)これだけです。
「誰でも、高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」(:9)

2021年10月17日 礼拝説教要旨

オープニング 聖歌隊
讃 美 歌 新聖歌491
主の祈り 93−5B(P148)
開会祈祷 司 会 者
讃 美 歌 57
聖書朗読 マタイ13:1-9,18-23(P23)
メッセージ 小菅  剛師
 「聞く耳のある人は聞きなさい」

 

説教要旨
イエスの話を聞きに多くの群衆が集まってきました。この群衆を見て、イエスは種を蒔く人のたとえを話されました。たとえは、霊的真理を自然の事柄でわかりやすく話されました。
1,4種類の土壌は4種類の心
この当時の種蒔きは、袋に種を入れて手でばらまきました。種はいろんな地に落ちました。種はイエスの言葉です。イエスの言葉は力がありますが聞く人によります。
(1)道端に落ちた種
イエスの言葉を聞く気のない人、または自分に当てはめないで他の人に当てはめて聞く人です。聞く耳のない人です。この人には何も起こりません。残念です。

(2)石地に落ちた種
イエスの言葉を喜んで聞き喜びますが、心の中に堅い頑固な石地があって、根が晴れず試練が来ると枯れてしまう人です。自分の固い心を貫く人です。
(3)茨の地に落ちた種。
 喜んで聞き、自分でイエスの言葉を考え、学び、深く受け入れます。しかし、世の思い煩いや富の誘惑に負けて伸びきれず実を結ばない人です。
(4)良い地に落ちた種
 イエスの言葉を聞き悟る人で、受け入れ、固い心を除き、世の事を思わない心です。その人は、実を結びます。実とは神に受け入れられることです。その人は、イエスが十字架で罪の身代わりとなって死なれたこと、三日目に復活されたことを信じ、そこに留まります。神は、罪を赦し、神の国へ入れてくださいます。
2,恵みの成長も含まれています。
4種類は、4段階です。最初聞く気がない所から始まり、徐々に良い地となり実を結びます。聞く耳を持とう。

2021年10月10日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞 詩編119:130
頌  栄 25
讃 美 歌 56
主の祈り 93−5B(P148)
使徒信条 93−4B(P146)
開会祈祷 司 会 者
讃 美 歌 509
聖書朗読 Tペトロ1:22-2:3(P419)
メッセージ 小菅  剛師
  「クリスチャンの成長」

 

説教要旨
船長と喧嘩してチリ沖合の無人島マス・ア・テェエラに放り出されたアレキサンダー・セルカーク。4年4カ月過ごして救出されました。その時のセルカークは別人となっていました。彼は、手元にあった一冊の聖書が彼を変えたのです。この実話が題材となって『ロビンソン・クルーソーの大冒険』(ダニエル・デフォー)が出版されました。聖書が与える二つの恵みを見ます。
1,人を新たに生まれ変わらせます:23〜25
 聖書は生ける神の言葉です。み言葉は、生ける種のようであって、人の心に落ちると、生まれ変わらせます。生ける御言葉はキリストです(1:3)。人は草で栄華は花です。草は枯れ、花は散るように、はかないのが人間です。その人間が生まれ変わり神の子になるのです。

2,キリスト者を成長させます2:1〜3
赤ちゃんがいつまでも成長しないとしたら心配です。神はキリスト者が成長することを願っておられます。キリスト者の成長の秘訣は何でしょうか
(1)まず「捨て去って」(:1)です。これらのものは、成長するための栄養を食い尽くし、成長を妨げます。メッセージを聞き、聖書を読みましても成長しません。捨て去るとは、「古き人はキリストと共に十字架につかられた」(ローマ6:6)ことによって捨てれます。
(2)「理に適った、混じりけのない乳」とは御言葉です。み言葉は、あなたを成長させます。この手紙は、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビテニアの各地に離散しているキリスト者に宛てて書かれました。ですから、既に生まれ変わった人たちです。キリスト者として成人の人もいましたが、生まれたばかりの乳飲み子のように熱心に聖書を読みなさいと勧められています。「慕い求めなさい」は強い言葉です。聖書を熱心に継続して読む人を神は成長させて下さいます。

2021年10月3日 礼拝説教要旨

前  奏
招  詞 詩編119:130
頌  栄 25
讃 美 歌 16
主の祈り 93−5B(P148)
使徒信条 93−4B(P146)
開会祈祷 司 会 者
聖 歌 隊
讃 美 歌 58
聖書朗読 Uテモテ3:10−17(P385)
メッセージ 小菅  剛師
「聖書に親しむ人に」

 

説教要旨
キリスト者の脆弱さは聖書を読まないことにあります。キリスト者の成熟とは聖書に親しむ人です。聖書に親しむとは「律法の書(聖書)を傍らに置いて、生涯、これを読みなさい」(申命記17:18,19)に生きる事です
1,霊感を受けて書かれた聖書:16
(1)神は語られる神です(創世記1:3、ヘブライ1:1)
(2)霊感とは、啓示(神の言葉と幻、イエス)を記録するために働いた聖霊の働きです。啓示は66巻の聖書で終わりました。よって、霊感は聖書のみです。
(3)霊感を受けている聖書は読者に霊感を与えます。「あなたの言葉が開かれると光が射し、無知なものにも悟りを与える」(詩篇119:130)これを「照明」と言います。私たちは、照明体験があなたを形作ります。

2,聖書が与える四つの恵み
 聖書には次の四つ恵みを私たちに与えます。
(1)救いに至らせる知恵を与える:15
これは聖書の中心テーマです。救いは、イエスキリストを信ずことによって神が与えて下さる賜物です。「聖書は私(イエス・キリスト)について証しをするものだ」(ヨハネ5:39)とあります。イエスを信じて永遠の命を得ることが聖書に記されているのです。
(2)神の人が整えられます:16、17
テモテは、父はギリシア人で母はユダヤ人でリストラとイコニオンで評判の良いキリスト者でした(使徒16:1〜2)。祖母ロイス、母エウニケと三代目のクリスチャンです(2テモテ1:5)。彼が神の仕え人として整えられたのは聖書に親しむ人だったからです。
(3)信仰生活の力です:10〜12。
毎日聖書から霊の糧を受ける人は力強く歩みます。
(4)真理を識別します:13。
聖書は「信仰と生活の基準」です。異端を見破ります。

2021年9月26日 礼拝説教要旨

前  奏 へジョン姉
招  詞 イザヤ46:4
頌  栄 25
讃 美 歌 580(4) 
主の祈り 93−5B(P148)
開会祈祷 司 会 者
讃 美 歌 458(1)
聖書朗読 使徒27:1-26(P262-263)
メッセージ 小菅  剛師
  「使命ある限りは」

 

説教要旨
クリスチャンは、病で死にません。多くの死因は思い煩いだそうです。思い煩いは神に委ねます(2ペテロ5:7)。クリスチャンは使命終えた時天に帰ります。
1,パウロと使命
 パウロは、新生時(キリストとの出会い)、異邦人宣教の使命が与えられました(使徒9:15、ガラテヤ2:8)。パウロは自分の使命を自覚しています(20:4)。エルサレムで捕らえられ、取り調べを受けている夜、主はパウロに「勇気を出せ。エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」(使徒23:11)と告げられました。キリスト者は、神からキリストを証しする使命を受けます。

2,神は使命を果たさせるために担われる
 ローマに護送されるパウロを乗せた船が難船します。その船の中で神は「パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ」(:24)と告げられます。神はパウロにローマで使命を果たすまでは死ぬことはない。その上に、パウロと共に乗船している276人の髪の毛一本も失われることはないと言われました。(:34,37)。神はあなたいる周囲の人々をもあなたと共に守られるのです。全員島にたどり着き救われました。神は使命を果たすまで担われる神です。
3,使命のある限りは
 クリスチャンは病気で死ぬことはありません。パウロはローマでキリストを証しして、使命終えて父のもとに帰りました。エリヤもそうです。アフリカの暗黒大陸を世界に紹介したリブングストンは「使命ある限りは死なない」と言いました。パウロもローマで使命を終えて64歳と言われますが御国に帰りました。使命に生きよう。