礼 拝 説 教 要 旨   2015. 3. 1
「主の山に備えあり」
創世記   22章1〜19節
小 菅  剛  牧師
 「主の山に備えあり」とは、神が信仰者の将来を見て、必要を備えておられることを表します。イサクは父に「献げ物にする小羊はどこにいるのですか」尋ねると、アブラハムは「小羊はきっと神が備えてくださる」と答えました(:7,8)。神は、木の茂みに一匹の雄羊をあらかじめ備えておられ、アブラハムは、この雄羊を見つけて焼き尽くす献げ物として神にささげました(:13)。この時から、信仰者はいつも「主の山に備えあり」と告白してきました。将来を不安に思うことは信仰者にもあります。そこで、この御言葉が、多くの信仰者を励まし、実際神が備えてくださる経験をして来ました。この御言葉は、どれほど信仰者にとって心強いことでしょう。
 しかし、備えは「主の山」にあります。主の山に行かなければ手にできません。主の山に行かないで、備えがなかったと言って神につぶやいてはなりません。さあー、一緒に主の山に行きましょう。神はあなたに何が必要か知って備えておられます。その主の山とは
  1、従順の山です。
 神は、愛する独り子イサクを神に献げなさいと言われます。あまりに過酷な命令です。しかし、イサクは神から与えられたものでした。わたしたちは、神から与えられなかったものは一つもありません。神が言われる場合は、理不尽と思えてもアブラハムのように従いましょう。
  2、信仰の山です。
 「わたしと息子は行って、また(わたしたちは、原文)戻ってくる」(:5)、「きっと神が備えてくださる」(:8)は、神への信仰が表明されています。
  3、献身の山です
 「息子を屠ろうとした」(:10)。アブラハムは、イサクを献げます。これはアブラハム自身を献げることでもありました。神の愛もここに見ます。従順、信仰、献身は「主の備え」を体験する道です。