礼 拝 説 教 要 旨   2015. 3.15
「天を仰ぎなさい」
ルカによる福音書   9章10〜17節
加 藤  満  伝道師
 私達の人生は揺れ動き安いものです。今日が元気でも、明日はわからない、常に「まさか」が起こりうる現実です。その前に私達は根本的に無力ではないでしょうか?
  1、まさかと出会う弟子達
 休息の為に入ったベトサイダに多くの貧しい群衆が集います。イエス様はそれを「喜んで」迎えます(11)。
 しかし日も暮れるのに群衆は増えるばかり。弟子達は解散を提案しますが、イエス様は驚く事を弟子達に言います。「あなた方で食べ物をやりなさい」。弟子達の出会った「まさか」です。一万人の群衆に弟子達は「5つのパンと2匹の魚」しかないのです。弟子達の言葉(13)が人間の限界です。「まさか」と出会う時に、人間は「自分の貧しさ」と「問題の大きさ」しか見る事ができません。
  2、主イエスは天を仰ぐように招かれる。
 イエス様は弟子達と同じ物を取り、天を仰ぎました(16)。天は神が座する所。神を仰ぎ賛美し祈ったのです。賛美とは、「まさか」の現実で神が権威ある事の告白です。その方への信頼の祈りです。手を下ろし配られたパンと魚は群衆に満ち足り、尚余るほど十分でした。
 私達を満たす物は天の神ご自身の内に全てがあります。日々のマナも、霊的な祝福も。そして天の神を仰ぐ時に救われます(イザヤ45:22)。既に十字架と復活の救いの業は成され、神からあなたに示されているからです。
 「まさか」の時は、主から「あなたは何を仰ぎますか」というチャレンジの時です。天に全てがあります。
  3、主イエスは何度でも招かれる。
 弟子達はイエス様のチャレンジに失敗しました。しかし主は、彼らを見捨てず新しい働きに召します(14〜15)。
 ペトロの三度の裏切りを主は赦し、彼の高さに主ご自身は寄り添われました(ヨハ福21章)。主は見捨てない。
あなたの場所から今一度、天を仰ぐように招かれます。