礼 拝 説 教 要 旨   2015. 6.28
「イエスの切望」
ルカによる福音書   12章49〜23節
小 菅  剛  牧師
 イエスは、「その火がすでに燃えていたらと、どんなに願っていることか」(:49)と言っておられます。ここにイエスの切望がなんであるかがわかります。一人一人の信仰が燃えていることを願っておられます。これは、要求でも命令でもありません。切望です。それは、私たちの信仰がくすぶり、マンネリ化し、形式的になり、いのちの躍動が弱ってしまいやすいからです。このような状態を主は主の願っておられません。
 世の終わり、キリストの再臨の前に教会は信仰が冷えてしまうのです。35節からイエスは再臨の時の教会を語られました。イエスが再臨される時「腰に帯びを締めし、ともし火をともして・・目を覚ましている・・僕たちは幸いだ」(:35〜37)。しかし、「主人の帰りは遅れると思い・・食べたり飲んだ、酔うような故…何も準備をせず」(:45〜47)は災いであると言われました。
 ラオデキアの教会は再臨に備えをしない教会として出て来ます(ヨハネ黙示録3:14〜22)。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。」(黙示録3:15、16)。「わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(黙示録3:19,20)。わたしたちは悔い改めましょう。
 イエスは地上に火を投じるために来られました。このために十字架の苦しみを受けて聖霊を下してくださいました。聖霊を受けた人が信仰と愛に燃えるのです。