礼 拝 説 教 要 旨   2015. 9.27
「謙る者に恵みを」
イザヤ書 57章15節    ペトロ一 5章5〜7節
小 菅  剛  牧師
 「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる」は聖書を貫く大切な真理です。パウロは、自分の人生を「自分を全く取るに足りない者と思い」(口語約「謙遜の限りをつくし」)(使徒20:19)と言っている。パウロでも高慢になる傾向性は生涯つきまとっていたので「思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました」(2コリント12:7)と。このとげはつらいものでしたが、パウロはそれで高慢から守られました。神は謙遜な人を用いられます。それで、神は謙遜にする肉体のとげでパウロを守り、用いられました。
 天使長「明けの明星」(ルシファー)は「いと高き者のようになろう」(イザヤ14:14)と思ったとたんに、天上界から落とされサタンになりました。このサタンはエバを「神のようになれる」(創世記3:4)と誘惑してエバとアダムを堕落させました。人類は、この時から高慢を宿してきました。「高慢は偶像礼拝に等しい」(1サムエル15:23)とあり恐るべき最大の罪です。レビ族のコラ、ウジヤ、ネボカデネザル、コリントの教会も高慢の罪に陥りました。この高慢の罪から人々を救うために、イエスは人となり十字架の死に至るまで従順でありましたので、世界の救い主になられました。
 人は、創造者である神に出会って謙遜になります。ヨブは、創造者の前に人は小さく弱いものであることを知りました。宗教改革者ヨシアは律法を読み、罪の大きさに謙ります。十字架の恵みに圧倒されて、自分を取るに足りないものと告白し、そのように生きます。神は、高ぶるファリサイ人(宗教熱心)を退け、罪深く謙った徴税人を受け入れられました(ルカ18:14)。神の恵みと水は低い方に流れます。何よりもイエスは人を愛し、人間の最低の十字架まで行かれました。神は彼を全ての名にまさる名を与え、高くされました(フィリピ2:6〜9)