礼 拝 説 教 要 旨   2015.11.29
「主に会う備えをしよう」
ルカによる福音書   1章1〜20節
小 菅  剛  牧師
 11月24日の大雪は、62年振りと報道されました。タイヤ交換、冬支度にあわてた道民であります。アモスは、神の裁きを告げて「イスラエルよ、お前は自分の神と出会う備えをせよ」(4:12)と語ります。旧約聖書の最後はマラキ書です。マラキは「見よ、わたしは、大いなる恐るべき主の日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる」(3:28,24)と語っています。ここに父の心を子に向けさせるエリヤの到来が今日のテキストに出るヨハネです。エリヤの再来と言うよりは、エリヤの使命を果たす預言者と言う意味です。エリヤは、偶像礼拝に迷う人々を神に心を向けさせた預言者でした。
 クリスマスは、神秘的なできごとです。老夫婦から男の誕生、おとめマリヤから神の子の誕生と続きます。内村鑑三は、「自分がイエスを信じられたこと自体が奇跡であるから、聖書のすべての奇跡を信じる」と言いました。その名はヨハネとつけられます。彼は、メシアに先立って、民を主のもとに立ち帰らせ、神に会う備えをさせることが奉仕でした。具体的に「父の心を子に向けさせ、逆らうものに正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主に用意する」(17)事です。アドベント(現れる、来臨の意味)は、クリスマスに来臨されたイエスの再臨に備えをするときです。世の浮かれた気分でありません。
 ヨハネの父ザカリヤは、「何によって、わたしは知ることができるでしょう」(18)と天使に尋ねています。神は、不信仰のゼカリヤから言葉を奪われます。これがしるしでした。彼は10か月沈黙の世界に入ります。この沈黙は、神との語り合いとなりました。この沈黙で、ゼカリヤは神の約束を確信したのです。世ははしゃぎます。キリスト者は神のストーリーを沈黙の中で黙想し確信します。