礼 拝 説 教 要 旨   2016. 3.27
「イエスの復活はたわ言でしょうか」
ルカによる福音書  24章1〜13節
小 菅  剛  牧師
 イエスの復活は、今日まで宣べ伝えられて来ました。初代の教会で、すでにイエスの復活に疑問を投げかけた教会がありました(1コリント15:12〜20)。イエスの復活がフィクションであったなら、キリスト教は消えていたでしょう。その復活は、人間の理性につまずきでありますが、理性の限界を知ることが人の謙虚さです。
  1、途方に暮れた女性たち:1〜4
 男の弟子たちはユダヤ人を恐れて部屋に閉じこもります。女性は、男性ほど敵視されませんでした。勇気と愛がある女性の登場です。信仰者たちには、復活信仰があり、遺体が傷まないために香料を塗る習慣がありました。墓に着きますと、墓石は動かされ、イエスの遺体がありません。空の墓の事実です。墓の埋蔵品を狙っても、犯罪人イエスの遺体を盗む者はいません。女性たちは、途方に暮れました。復活にあなたも途方に暮れますか?
  2、イエスの言葉を思い出した女性たち:5〜8
 人の行き詰まりは神の出られる幕です。天使が、「人の子は必ず、罪びとの手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっていると、言われたではないか」とイエスの言葉を思い出させます(ルカ9:22,44、18:32,33)。女性たちは、イエスが3回言われたイエスの言葉を思い出しました。そして、イエスの言葉の成就を見たのです。イエスの復活を受け止めました。
  3、使徒たちに伝えた女性たち:9〜12
 事実は2〜3人の証人が必要でした。ここに3人以上の女性たちがイエスの復活を使徒たちに話します。使徒たちは、女性たちの証言を「たわ言」(空論、無駄なおしゃべり、取り上げるほどのこともない、ばかげた話し)としました。しかしペテロは墓に行きます。そして女の言葉を確認したのです。死に勝利されたイエスは罪から解放してくださる救い主です。途方に暮れたことから始まり、復活を信じ、伝える人になろう。