礼 拝 説 教 要 旨   2016. 8.28
「神の都を目指して」
ヘブライ人への手紙  11章8〜16節
小 菅  剛  牧師
  1、この人たちは皆、死んだ(:13)
 罪を犯したアダムから人は死が定まっている。「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブライ9:27)。「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています」「罪の支払う報酬は死です」(ローマ3:23、6:23)。ここに、アベル、エノク、ノア、アブラハム、サラが出て来るがこの人たちは死んだ。中世の修道院には「メメントモリ」(死を覚えよ)が張られて、そのことを覚えて今日を生きた。「死を覚えて人は人となる」とある人は言った。
  2、この人たちに神は都を用意された(:10)
 アブラハムは、神が約束の地を受け継ぐようにと言われたとき、故郷カルデアのウルから行き先を知らないで出た。彼は財産となる土地は手にしなかった。彼は、妻サラの葬りに「一時滞在する寄留者」(創世記23:4)と自ら語る。これは、彼が神の都を待望した人生の旅であったことを現した。旅の危険に妻を妹と言って安全を図る失敗もしたアブラハム。彼は地上に永住の都を求めたのではなく、天にある故郷、都を求め、はるかに見て、喜びの生涯を送った。アブラハムが単に待望しただけではなく、神は、都を準備された。イエスは「父の家には住まいがたくさんある」(ヨハネ14:2)と弟子に告げ、「今日あなたは私ともに楽園にいる」(ルカ23:43)。聖書の最後は神の都が記されている(黙示録21、22章)
  3、この人たちは皆、信仰を抱いて死んだ(:13)
 この人たちの死に際して「信仰を抱いて死んだ」ことである。死は、すべてのものを奪う。ヨブは「裸でかしこに帰る」と言い(ヨブ1:21)、「何一つ持たないで死ぬ」(コヘレト5:14)。死に臨んで残るものは信仰である。信仰を抱いては「信仰に支えられて」(詳訳聖書)とある。キリストの復活は神の都の証明である。信じて生きよ。