礼 拝 説 教 要 旨   2016. 9.11
「あなたを担われる神」
イザヤ書  46章1〜7節
小 菅  剛  牧師
 今日は高齢者祝福礼拝です。5節でイザヤは鋭い対比、比較で語ります。人間が担わなければならない神(:7)と人間を担われる神(:3)です。福音は、人を担われる神で表現できます。神はあなたを担われます。
  1、人が担わなければならない神:1,2
 バビロンの宗教は、主神がネボ、ベルは子神でした。「鋳物師を雇って神を造らせ」た神です(:6)。エルサレムを滅ぼしたバビロンはエルサレムの神よりバビロンの神が優っていると思いました。ところが、ペルシアにバビロンが滅ぼされる時、バビロンの人々、祭司は神の像を象や家畜に負わせて、逃げました。担いだもの(神)が逃げる重荷となりました。エペソのアルテミスの女神もエペソの人々から担われなければ御威光も落ちました。
  2、人を担われる神:3,4
 神は、あなた方から担われる必要はない。反対に、わたしはあなたがたを担うと語られたのです。エルサレムが滅ぼされ、バビロンの連れ去られたとき、民は神が私たちを担うのを放棄されたかのように思いました。しかし、神が担うのを放棄されたのではなく、試練を与えて神に立ち返るようにされたのです。バビロンで苦しんでいるときも、神は担っておられました。
(1)人は、生まれたときから神は担われます。産道を出る時神はその赤ちゃんを担われます。
(2)罪びとを担われます。世界の支配は、神の片方の肩に担われ(イザヤ9:5)、失われた羊は見つけ出されると羊飼いの両肩に担われました(ルカ15:5)。あなたを喜んで肩に担いでくださるのです。
(3)老いる日、白髪になるまで神は信仰者を担われます。イエスは、神に担われた代表人物です。イエスは死ぬまで担われる生涯を送られ、その結果、十字架の死でした。しかし、神はイエスを復活まで担われました。