礼 拝 説 教 要 旨   2017. 1. 8
「神の喜ばれるいけにえ」
サムエル記上  15章1〜23節
小 菅  剛  牧師
  2017年の取り組みは「聴従の生活」です。「これらの言葉を聞いて行う人」(マタイ7:24)です。これは特別な事ではなく、キリスト者のスタートである生涯です。聞いて行わない事と決別です。今年1年は、聴従を一段と自分のものとしていきます。ここには、僕として生きる、従順を生きる、弟子として生きるなどが含まれています。この生き方は、試練(雨、洪水、風)の中でも倒されません。神が守られます。サムエルは「僕聞きます、主よ、お話しください」と主の前に出ました。聞いた言葉にとどまり実行しましょう。そこに弱さを誰もが覚えます。その力は私にありません。力は、「わたしを強くして神」(フィリピ4:13)にあります。神を求めましょう。
 神に喜ばれるいけにえは、聴従の生活です(:15)。神に喜ばれるいけにえに失敗したサウル王が出てきます。何が失敗の原因でしたか。それは、神の言葉よりも自分の考えと判断を優先させたからでした。自分の考えと神の思いが一致する部分は従いましたが(:4〜6)、一致しないところは自分の思いを優先させました(:9)。また、神は自分の考えを喜ばれるだろうと思い、神の言葉を無視しました。これは私たちの陥りやすいところです。
 エジプトを出て、疲れていたイスラエルの一行を後ろから女、子ども、老人をエサウの子孫であるアマレク(、創世記36:12)が襲いました(出エジプト17:8、申命記25:17〜19)。神は、アマレクを「すべて」滅ぼしつくすように命じられました。しかし、サウルは、アマレクの王アガグを生かし、家畜の最上のものをえり分けて残し、「主の命令を果たしました」と言いました(:13,20)。最上のものなら神が喜ばれると思ったのです。残念です。
 聴従こそ奉仕や献げ物にまさる神に喜ばれることです。十字架の愛への応答は聴従であります。