礼 拝 説 教 要 旨   2017. 1.29
「主の足もとに座ってう」
ルカによる福音書  10章38〜42節
小 菅  剛  牧師
 ベタニアのマリアは主の足もとに座って、イエスの話に聞き入っています。この物語の前後関係からマリアがなぜイエスの足もとを必要としたかがわかります。
 まず、11章1節に父に祈っておられるイエスの姿があります。イエスは、「神の身分でありながら・・人間と同じに者になられました」(フィリピ2:7)。「子らは血と肉を備えている・・・イエスもまた同様に、それらを備えられました」(ヘブライ2:14)。イエスは「子は、父のなさることを見なければ、自分からは何もできない。・・わたしは自分では何もできない」(ヨハネ5:19,20)と内心を語られます。ですから、イエスは父の足もとに座り、父と交わり、父から聞かされたことを行われました。イエスは祈りが必要でした。父との交わりが力でした。
 また、このテキストの前にイエスは善いサマリヤ人のたとえを話されて「行って、あなたも同じようにしなさい」(ルカ10:37)と締めくくられました。行うには力が必要ですし、必ず思い煩いが伴います。ルカは、それでイエスを祈りと聞いたことを実践するためにマリアを取り上げたのです。
 教会にマルタとマリアが必要だとよく言われます。そうでしょうか。イエスは「必要なことはただ一つだけである。マリアは、良いほうを選んだ。それを取り上げてはならない」と言われました。当時、女性は男性に交じって話を聞く習慣はありません。姉のマルタが台所で働いているのを当然マリアは知っていました。それなのにマリアは足元に座っています。動かないで聞き入っています。これはイエスの祈る姿勢であり、善きサマリヤ人となって生きる人の必要不可欠な事でした。マリアはナルドの香油をイエスに注いで愛を現す事が出来たのは、イエスの足もとに座っていたから出来たことでした。
聴従生活はマリヤの指定席に座ることによって可能です。