礼 拝 説 教 要 旨   2017. 3.26
「イエスを見つめながら」
ヘブライ人への手紙  12章1〜11節
小 菅  剛  牧師
 キリスト者の生涯を、競走で現わされている。人と争う競争ではなく、自分のコースを走る競走である。
  1、多くの証人が応援している:1
 この応援団は、単なる観客席の応援ではない。自分たちのコースを走り抜いた人たちの応援である。11:40から私たちが走り抜かなければ、旧約の信仰者アベル、ノア、アブラハムも完全な状態なれず、勝利することはできない。駅伝に似ている。タスキ引き継がれ、走り抜こう。
  2、ランナーとして身軽なスタイルで走ろう:1
 競技者のスタイルが挙げられる。すべての重荷はこの世への愛着、絡みつく罪とは不信仰である。イエスは自分を捨てて従えと言われた。重荷とは自分である。これらは潔く捨てねば走れない。清貧こそ競技者のスタイル。
  3、忍耐して自分のコースを走ろう:2
 コースは各自違う。自分のコースを走り抜くことである。リタイアーをしないように忍耐しなければならない。忍耐強くとは競走の苦しさを現わす。
  4、信仰の創始者、完成者であるイエスを見つめて:2
 このコースを走られた模範がイエスである。創始者とは開拓者、創設者で信仰コースを走り始めてくださったのがイエスである。また完成者とは走り抜いてくださったイエスである。イエスは、苦難を忍び通し、忍耐強く、恥をもいとわず、罪びとの反抗に耐え、十字架の死にまで走り抜かれ、神の玉座の右にお座りになった。忍耐して走り抜く者に報いはある。このイエスを見つめて走れば自分のコースを走り抜くことができるのである。
  5、競走での苦難は、神の神聖に与る:10
 御言葉とイエスの血と聖霊によって私たちは神の性質に与るが、また、苦難を通してもあずかる。神の愛から来る鍛錬である。この時も、苦難を忍び通されたイエスを見つめれば、鍛錬の厳しさを耐え、走れる。走ろう。