礼 拝 説 教 要 旨   2017. 4. 2
「人の子はあげられる」
ヨハネによる福音書  12章20〜36節
小 菅  剛  牧師
 この12:12〜19にイエスがエルサレムに入京されています。イエスの受難週に入ります。
  1、イエスの死は神の栄光の時:20〜24
(1)異邦人がイエスに会いに来ます(20)。イエスはこれまで主にユダヤ人に伝道されました(マタイ15:24)。異邦人の救いの時が来ました。「多くの実」(24)、「すべての人」(32)は異邦人が含まれます。それで、イエスはご自分の死が近いことを知られました。
(2)人の子が栄光を受ける時が来た(23)。これまでイエスは、自分の時はまだ来ていないと語って来られ(2:4,7:30,8:20)、ここで初めて「時が来た」と語られました。続いて13:1,17:1に出てきます。
(3)一粒の麦は自然の法則で、人の子は上げられなければならいは、モーセが荒れ野で蛇を上げた救いの歴史(ヨハネ3:14、出エジプト21:4〜9)から十字架の死を語られます。上げられるは直接にイエスの十字架の死を示し、さらに復活、昇天が含められています。
  2、イエスの死を励まされる父:27〜32
(1)イエスの祈りです:27,28。これはイエスのゲッセマネの祈りと言われます。イエスはこれから受ける受難に心騒ぎ、しかし、ご自分の使命に立たれます。
(2)父はこのイエスを励し「再び栄光(十字架)を現わす」とイエスに応えられます(28)。父はイエスを通して7つのしるしから栄光を現わされました。十字架の死によって神はさらに栄光を現わすと言われます。みじめな悲惨な十字架は神の栄光でした。すべての人が十字架で救われる父の栄光が現わされるときです。
  3、イエスの道は弟子の道:35〜36
 ここに、死によってのみ命を得、命を注ぎだすことによって命を保ち、仕えることによってのみ偉大な報いが告げられます。この道はイエスの道、弟子の道です。