礼 拝 説 教 要 旨   2017. 4. 9
「わたしである」
ヨハネによる福音書  18章1〜11節
小 菅  剛  牧師
 今日はパームサンデー。受難週に入ります。イエスの逮捕から主の苦難をメッセージとします。
 イエスの逮捕は「園」で行われました。ヨハネは園の名前をゲッセマネと記しません。それどころか、逮捕も十字架も葬りも(19:41)、復活も園(20:15)としています。ヨハネは、エデンの園で人は罪を犯し、神から追放されたが、その罪人の救いはイエスによって園で行われたことによって、エデンの園の回復を告げています。
  1、イエスは自ら敵に名乗り出られました:4
 イエスは、敵が自分を捕らえに来るのを待っておられません。自分から進み出ておられます。それは、自分の身に起こることを知り、受け入れておられたからです。愛は自発のものです。イエスは、義務感や仕方なく従われたのではなく、愛の自発性(フィレモン14)です。イエスは、自分で命を進んで捨てられました。
  2、イエスは、瞬間ご自身の栄光を示されています:6
 イエスが「わたしである」と言われたときに、イエスの敵は後ずさりして、地に倒れます。これは、瞬間イエスが神の子であり、その輝き(17:5)を出ました。それで、彼らは倒れたのです。もし、イエスからすべての輝きが出たなら敵はそこで滅んだでありましょう。しかし、イエスはその輝きを捨てて苦難を受けられます。父なる神はイエスの栄光を瞬間だけでも現わして、イエスの苦難の道を歩むように励まされました。
  3、イエスの苦難は私たちを保護のためでした:9
 4節の質問を7節で2回目しておられる。それは、イエスだけが捕らえられ弟子たちを守るためである(9)。雇人は狼が来ると逃げるが良い羊飼いは、羊の為に命を捨てる(10:11,12)。弟子たちが完全に守られるために、自らいけにえの手続きに入られた。ひとりも失なわない羊飼い(6:39、10:28、17:12)はあなたを徹底的に守る。