礼 拝 説 教 要 旨   2017. 4.30
「内におられるキリスト」
コロサイの信徒への手紙  1章24〜29節
小 菅  香 世 子 師
  1、教会はキリストの体
 私たちはいろいろな導きとつながりの中で教会に集い、自分で来たつもりですが、来てみると教会は建物ではありませんでした。教会は頭がキリストでその体だというのです。キリストの下に寄せ集められ、キリストを救い主として信じた者たちの集まりが教会なのです。ということはそこには、様々な人生があり日々の生活の積み重ねがあるのです。たくさんの事情がそこにあります。キリストの十字架のお苦しみが不十分というのではありませんが、パウロは教会に起こる様々な戦い、苦しみの中で私たちの側でしなくてはならない部分を自分の体をもって満たしました。また、キリストの御思いを知らせるために余すところなく御言葉を伝えました。ここに信じる者たちの立つところを見ます。
  2、神の秘められた計画
 神が教会に明らかにしようとされた大いなるご計画がありました。それは、旧約聖書の時代には明らかにされなかったことなのです。そしてこの秘められた計画は栄光に満ちたものだというのです。この計画とはキリストが私たちの内におられるということなのです。
 旧約聖書の時代、神がともにおられることは、幕屋で示されました。雲が幕屋を覆い、幕屋に神の臨在が満ちたとき人々も、モーセすらも近づくことができませんでした。しかし、キリストによって贖われた者は、聖霊によってキリストを内に迎えることができるのです。内住のキリストです。決してキリストは遠くにおられるのではなく、なんと罪深く、弱い、頼りない私たちの内においでくださるのです。これが神の秘められた御計画です。
  3、私の内に力強く働くキリスト
 パウロが伝えたのはこのキリスト、すなわち内におられるキリストです。この秘められた計画が私の上にもなりますように、これこそキリスト者の祈りです。キリストはわたしの内に力強く働いてくださるのです。