礼 拝 説 教 要 旨   2017. 9. 3
「イエスの招き」
マルコ福音書  1章16〜28節
小 菅  剛  牧師
  1、イエスの招き:16〜20
 イエスが語られるとき、イエスに従うか、イエスを拒絶するか。イエスの弟子になるか、イエスを死刑執行する人になるかの選択が迫られます。ここに中立点はありません。「はい」か「いいえ」のどちらかを言わなければならない立場に追い込まれます。
 アブラハムは、「信仰の父」と呼ばれています。神がアブラハムに「生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」と言われたとき、「アブラムは、主の言葉に従って旅立った」(創世記12:1,4)。神にお召しに従ったので信仰の父と呼ばれました。
 イエスがここで「わたしについてきなさい」と招かれた時、彼らは「すぐに」(:18)従いました。そんなに簡単に従えるのでしょうか。弟子の覚悟(マタイ8:18〜22)、弟子の条件(ルカ14:25〜33)を読みますと、従うことは簡単でありません。彼らが従った理由や動機何も説明されていません。イエスが、徴税人レビに「わたしに従いなさい」と声をかけられると、「彼は立ち上がってイエスに従った」(2:14)のです。何故、従えたのでしょうか。
  2、イエスの権威:21〜28
 イエスの招きに従った理由を、安息日の出来事から教えられます。安息日にイエスは教え、悪霊を追い出しておられます。そのイエスの教えに権威があり(:22)、悪霊を支配する権威があり、人々は「権威ある新しい教えだ」と言って驚いています。権力と権威は違います。
 権力は人から、権威は神からです。権力は、その人の地位や立場から力で人を支配します。主人と奴隷の関係です。一方、権威はその人の愛と人格から出て来て、人の自由意志を尊びます。イエスの権威は力があります。彼らは喜んで自ら進んで従ったのです。この招かれる資格や理由はありませんが、使命と神の祝福が伴います。