2018. 2. 4
「最もつまらないわたしに」
エフェソの信徒への手紙  3章1〜13節
小 菅  剛  牧師
    序論
(1)脱線で始まります。この3章1節は14節に行く予定が、囚人からエフェソの教会を落胆させないために脱線します。この脱線に素晴らしい恵みがあります。
(2) 8節に「聖なるものたちすべての中で最もつまらない者」とパウロは言います。「最もつまらない」とは、ここでのみ使用される言葉です。これ以上小さいものがない中で更にそれ以上に小さいと言う意味です。決して劣等感や自己卑下、自己憐憫から言っているのではありません。自らの罪深さと受けた恵みの大きさから出て来たふさわしい自己認識でした。喜びをもって「自分を最もつまらない者」と言いました。神は、この最もつまらないパウロに次の三つを与えておられます。
  1、神の秘められた計画:1〜6
 神は最もつまらないパウロに喜んで神の計画を示しれました(:3)。アナニアはパウロに「異邦人のために苦しむ」(使徒9:15)神の啓示を告げます。この計画は、異邦人が福音によって救われ、同じ恵みにあずかる者になることです。ユダヤ教からキリスト教が出たのではなく、キリスト教は神の永遠の計画(:11)から出たものです。
  2、この計画を果たすために:7〜11
 神は、この計画をこの世に実行するために最もつまらない者を選び、神は力を与えられます。つまらない者だからこそ力が必要です。パウロを通して異邦人が救われ、神はこの計画を実証し、天上界にも示されました。
  3、栄誉、喜び:12,13
 脱線は、エフェソの人々を落胆させないためでした。この計画を示され、その計画を担うために立てられたつまらない私は苦難を喜んでいると言います。囚人となったパウロの苦難は恥ではなく栄誉、喜びなのです。
自分をつまらない者と思っている信仰者よ、喜ぼう