2018. 5.13
「人の子が来る」
マタイによる福音書  24章29〜51節
小 菅  香 世 子  師
  1.人の子が来る
 弟子たちの質問に答えてイエス様は終わりの時代の徴についてお話くださいました。(15〜28節)イエス様が救い主としておいでくださった時にはそれと知った人、気が付いた人は本当にわずかでした。キリストのしるしを見た人でも信じない人たちが多くいました。
 しかし再び人の子(メシア)が来る時があり、その来る時を地上のすべての民族が見るというのです。「死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ」とイエス様は言われ、必ずそうなることを明らかにしました。それはまた、いちじくの木のたとえでもそうです。枝が柔らかになり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かるように終わりの時代の徴によって人の子の戸口に近づいたことを悟ることができるのです。日常の生活の中にあって、キリスト者として時代をわきまえるものでありたいです。
  2.目を覚ましていなさい
 その日、その時は天の父意外はだれも知りません。それは「ノアの時」「ロトの時代」(ルカ17:28)と同じだと言います。洪水前ノアが舟に入る日まで人々は普段の生活をしていました。洪水が襲うときまで何も気が付かなかったのです。しかし、人々の目の前で箱舟を造ることによって神は警告を与えておられたのです。気づいたときはすでに遅かったのです。人の子の来られる時もそのようで、一人は連れて行かれ、一人は残されるのです。目を覚まして用意していなくてはなりません。
  3.言われたとおりにしている
 忠実な僕は主人がいつ帰ってきてもいいように仕事に専念します。任された使用人たちのために食事まで用意し彼らのめんどうを見ながらひたすらに主人の帰りを待ちます。しかし、悪い僕は主人の帰りを甘く見ます。一応主人に任されていますので、人を使う立場です。ここでは高ぶりが出てきました。快楽が生じてきました。好き勝手にしているときに主人が帰って来ました。私たちへの神の警告です。目の覚めた者でありたいです。