2018. 5.27
「神の愛は聖霊によって理解できる」
コリント信徒への手紙一  2章1〜16節
小 菅  剛  牧師
 1章の終わりに「誇る者は主を誇れ」とあります。パウロは自分の弱さを誇り、キリストの十字架だけを誇りとしました。そこに神の救いがあるからです。
  1、説教の目的:1〜5
 パウロの説教は単純でした。単純とは浅薄でも、皮相的でも学問や思想がないのでもありません。神の教会は、十字架につけられたキリストが人間的な知恵や哲学や思想で語られず、十字架の真理(物語)が告げられる時に神は人を救ってくださいます。パウロの説教は、人受けや賞賛を受けるような言葉は用いませんでした。彼は、迫害の中で弱っていました。福音を恥としたり、憶病になっていたのではあません。神の力が説教にありました。
  2、この世の知恵と神の知恵:6〜9
 十字架は神の知恵です。世の支配者や知恵者は十字架に至りませんでした。神の知恵、啓示である十字架は
(1)私たちを神の栄光にまで変える知恵です:7
(2)世の始まる前に神が計画し定められました:7
(3)神はご自分を愛する者のために用意されまた:9
この世の知恵と神の知恵が対比されて、神の英知は人間の知恵で達することも、及びもつかないのです。
  3、神の霊によって理解されます:10〜16
 人間が考えも思いも浮かばなかった神の知恵である十字架の愛を人はどのようにして理解するのでしょうか。それは、神が、神の霊(聖霊)を与えてくださって理解できるようにしてくださいました。
(1)神は、聖霊によって個人的、体験的に聖霊は神の奥義である十字架を悟らせてくださいます。信仰に導いて下さるのです。
(2)生まれながらの人が、聖霊のよって生まれ変わり霊の人になって、神について理解できます。