2018. 6.10
「羊を右に、山羊を左に」
マタイによる福音書  25章31〜46節
小 菅  香 世 子  師
 マタイ24章において「人の子が来る」とはっきり記され、このキリストの再臨を信じ待ち望む者たちの生き方が25章において語られています。
  1.羊と山羊を分ける
 人の子が栄光の座に着くとき、すべての国の民がその前に集められます。神の裁きの時です。さながら羊飼いが群れの中の羊と山羊を分けるように王はより分けられというのです。しかし、羊も山羊もウシ科ヤギ亜科でほとんど似た動物です。ヤギ属かヒツジ属かの違いです。
羊は草しか食べません。群れたがり、先導者に従う傾向が強い動物です。しかし、山羊は木の葉、木の芽を好んで食べ、高いところに登のが好きです。活発、敏捷、攻撃的です。羊と山羊をたとえにしてここでイエス様は2種類の人の姿を語られました。終わりの時、神はすべての国の民を右か左に分けられるのです。
  2.右の人・最も小さい者の一人にした
 右側は羊です。良き羊飼いに養われ、従って来た者たちのことです。「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」とイエス様は言われました。しかも、彼らはそれと気づかずにしました。最も小さい者の一人にしたことを主は評価なさいました。
  3.左の人・最も小さい者の一人にしなかった
 「はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、私にしてくれなかったことなのである。」と主は言われています。愛の業がなされたとき、それは無意識的にキリストになされたことと同じであるのです。ここではしなかったことが問われています。
 キリストの再臨を待ち望むことを考えると何かたいそうなことのように思われますが、実は平凡な日々の生活の中で愛をあらわすことなのです。しかもここでは他のキリスト者に対して行われた愛の奉仕を言うのです。牢とは信仰のゆえに牢に入れられたことを示すのです。