2018.10. 7
「共に苦しみ共に喜ぶ」
コリント信徒への手紙一  12章12〜31a節
小 菅  剛  牧師
 オリンピックで日本の旗が揚がりますと自分が優勝したように喜びます。選手が悔しい思いをしますと私たちも悔しい気持ちになります。そこに日本人としての一体感を思います。わたしたちはキリストの体(これは教会)です。体に多くの肢体(器官)があるように、教会にも異なる賜物の人がいます。洗礼はキリストの体となるために受けたのです(:12〜14)
 「足が目でないから体の一部ではない」(:15)、「目が手に向かってお前はいらないとは言えず」(:21)は人間社会、時には教会の中に起ってきます。劣等感は、自分はなくてもよい、いてもいなくても同じだと自己評価を下げます。劣等感は、批判に強くでる、自分の自慢話で認められたい、またはまわりに自分の不幸を訴えると言います。すべての人は劣等感を経験しています。ではこの劣等感からどのようにしたら解放されるのでしょうか。
  1、 神を知りましょう。
 神はあなたを造られました。神の形に似せて創造されました。それはあなたが人の前に生きるのではなく神の前に生きるように造られたのです。劣等感は、人と比較して自己評価します。神の前に神と共に生きる人は神の前に喜ぶ生き方ができます。人の目から解放されます。
  2、 神の愛を知りましょう。
 神はあなたのありのままを喜んで受け入れてくださいます。ザアカイは背が低い劣等感、人とうまくやれない劣等感がありました。自信をつけ、力をつけて劣等感から解放されたいと徴税人の長になり、金持ちになりましたが劣等感はついて回りました。そのザアカイをイエスは丸ごと受け入れてくださったのです。その時、彼は劣等感から解放され自分から解放されました。
  3、 神は弱い部分に目をとめておられます。
 神の御心は体全体が共に生きることを願って助けられます。