2018.11.18
「マラナ・タ(主よ、来てください)」
コリント信徒への手紙一  16章13〜24節
小 菅  剛  牧師
 パウロはコリントの手紙を終わるに「マラナ・タ」と言います。「マラナ・タ」はアラム語(ユダヤの地で普通使われていた言葉)から来ています。あらゆる地域であらゆる時代の教会がこの言葉を用いてきました。これは心からの熱い祈りです。コリントの手紙からイエスが来られる再臨について取り上げてみましょう。
(1) 1:7「イエス・キリストの現れるのを待ち望んでいる」
(2) 1:8「キリストの日に、非のうちどころのない者に」
(3) 3:13「仕事は…かの日にそれは明らかにされる」
(4) 4:5「主が来られるまでは、先走って何も裁いては」
(5) 5:5「それは主の日に彼の霊が救われるためです。」
(6) 7:29「定められた時は迫っています。今からは、」
(7)15:23「キリストが来られるときに、キリストに属し」
(8)15:52「最後のラッパが鳴ると‥一瞬に‥変えられる」
これらのことから、教会の希望と慰めはキリストの再臨です。主を愛さないものではなく(:22)主を愛する者は主の再臨を待望し「マラナ・タ」と祈るのです。
(9)16:13「目を覚ましていなさい」とは、キリストが現れる日を覚えて、この世に流されマイホーム主義や自己満足にならず、ひたすら主人の帰りを待ちます。その生活は再臨のキリストを疑わずに、イエスが最高法院で「人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗ってくるのを見る」(マタイ26:64)と言われたこの約束にしっかり立ち、信仰の戦いに雄々しく強く戦うことです。何事にも愛をもって行うことが再臨信仰に生きる生活です。特に愛の生活は具体的に実行されなければなりません。15〜18節にコリント教会で愛の業に励む人たちが出てきます。19〜21節に遠く離れたアジア州の教会から挨拶が伝えられます。これも離れた人々への愛と祈りです。目を覚まして、「マラナ・タ」と祈り続けましょう。