2018.12.30
「キリスト者の完全」
フィリピの信徒への手紙  3章2〜16節
小 菅  剛  牧師
 「わたしたちの中で完全な者」(:15)とあります。ここにキリスト者の完全があることがわかります。ではキリスト者の完全とはどういう人でしょうか。
  1、信仰に基づく神からの義を受けている人:2〜10
 2節に「あの犬ども」と言う言葉が出てきます。肉に傷をつけ割礼に頼り、「律法から生じる自分の義」(:9)を求める人を指しています。パウロは、以前「律法の義については非のうちどころない者」(:6)として生きていました。しかし、律法は罪を自覚させ、誰一人神の前に義とされないことを知らせます(ローマ3:30)。律法は、かえって罪を増し加わらせ(ローマ5:20)、「罪が支払う報酬は死です」(ローマ6:23)。キリストが十字架で罪の償いをして下さって、このイエスを信じる人に神は義(罪の赦しと神との関係の回復)を与えて下さいました。全くここに立って疑わない人がキリスト者の完全です。
  2、一事を務める人です:12〜16
 義とされた人は、キリストを捕らえることに熱心な人です。キリスト者は神に完全に捕らえられています。そしてキリスト者はキリストを捕らえるこの一事に専念する人です。神は、わたしたちの心に働きかけてキリストを捕らえるようにされています(:12,13)。「One thing Ido」これがキリスト者の完全です。「不完全の完全」「完全に進む完全」「キリストを捕らえようと努める完全」です。「キリスト者の完全とは完璧になることではなく、神との関係の完全性である」(チェンバース)。
 後ろのものを忘れることができないわたしたちです。神は記憶を消されることはありませんが、過去の罪や心の傷に振り回されない恵みを与えてくださいます。神の賞与とは、キリストの栄光と同じ形に変えられることです(:21)。来年もキリストを捕らえる歩みをしましょう。