2019. 2.17
「ナザレの人イエス・キリストの名
使徒言行録  3章1〜16節
小 菅 香 世 子 師
  1.午後3時の祈りの時
 生まれながら足の不自由な男(この時40歳を過ぎていました)が完全にいやされました。つい、いやしに目がいってしまいます。しかし、このわざがなされたのは祈りの時でした。祈りの時こそ神の業がなされる時なのです。ペテロとヨハネはいつものように神殿に上って祈ろうとしていました。不断の変わらない忍耐強いいつものお祈りです。そしてこの祈りの結果起こったことは十字架にかけられたイエスの栄光となりました。
  2.生まれながら足の不自由な男
 この男性は今まで歩くことも働くこともできず、どれほど自分は役に立たない人間だと思ったことでしょう。しかし、神はこの男性を用いてエルサレムを動かされました。この人には@信仰がありました。おそらくイエス様のことを聞いていたのでしょう。(マタイ21:14)A主イエスを信じました。イエスはちょうど2か月ほど前に十字架につけられて死んだ人だったのにです。B迫害されるかもしれないのに大胆にペテロ、ヨハネと共に居りました。C心の中に感謝がありました。D主の弟子のペテロとヨハネを愛する心がありました。彼が乞うた施しは何日分かの養いでしかありません。しかし主は一生涯のものばかりか魂の救いまでくださったのです。
  3.ペテロとヨハネにあるもの
 @愛の心を持っていました。A人をとらえることのできる目をもっていました。B自分たちの『持っているもの』を認め、『あげよう』ということができました。C信仰がありました。D神のために働く「手」をもっていました。Eイエスさまを大胆に表すことができました。F謙遜でした。イエス・キリストの名によってあらわされたものはご自身が持っておられる人格と権威でした。ユダヤ人たちはキリストを十字架につけました。しかし、死んだはずのお方の名によって奇跡とリバイバルが起きたのです。弟子たちがすごいのではなく、彼らが持っていたナザレの人イエス・キリストの名によるのです。