2019. 3. 3
「いけにえにまさるもの」
ヨハネによる福音書  2章1〜11節
小 菅  剛  牧師
 マリアは召し使いに「その方が何か言いつけたら、その通りにしてください」と言います。「その通りに」を口語訳聖書は「何でも」と訳しています。「その通りに、何でも」を聞かれたことはありますか。信仰生活の重要な問題は、新しいことを知る事よりも、今すでに聞いている真理に服従しているかと言うことです。親が子供に「いつになったら言われたとおりにするの」は神がわたしたちに言っておられるように思います。新しい教えを求めることより、何であれ聞いたことへの服従を求めておられます。召し使いは目いっぱいの従順を示しています。
  1、服従そのもの中に、神の贖いの目的が存在します。
 救いの目的は「キリストに従うように」(1ペテロ1:2)とあります。「従うように」召され選ばれました。神の御目的の中心はなんと言っても、神の贖いの道を受け入れる服従から始まります。次に、十字架の道に服従することを求められます。常に自分と神との関係を正すことに力を入れるよりも服従することを求められています。
  2、服従の中こそ、私たちの神体験への道があります。
 服従した「召し使いは知っていた」(9)とあります。聖書は健全な神体験を告げています。悲しいことに多くのクリスチャンは神体験をしていません。それは、何でも言われたとおりに服従していないからでしょう。10人の病人がイエスの言葉に従って「そこへ行く途中で清められた」{ルカ17:14}とあります。服従こそは、神体験への入り口なのです。
  3、服従の中にこそ、神への忠誠の証明です。
 私たちは、服従に替わる代替え品を探していませんか。私たちの忠誠の証明は、従順の度合いによります。従順変わるものはりません。「見よ、聞き従うことはいけにえにまさり」(サムエル上15:22)とあり、服従に生きよう。