2019. 3.31
「イエスが祈らなかった祈り」
ヨハネによる福音書  12章20〜36a節
小 菅  剛  牧師
 レント(受難節)に3月6日(灰の日)から入り、4月14日(日)イエスはエルサレム入京され(パームサンデー)から受難週に入ります。主の受難を黙想し、克己精神を培う目的があります。イエスの魂の状態を見ます。
  1、心に騒ぎを覚える魂の状態:27
 弟子に「心を騒がすな」(14:1)と語られたイエスは、心を騒がしておられるのを見ます。イエスは、これまで「わたしの時はまだ来ていない」(2:4,7:30,8:20)と言われてきましたが、今「人の子が栄光を受ける時が来た」(:23)と言われました。イエスは、ご自身の苦難の時が来たことを知られました(:24)。十字架の孤独な苦難が待ち構えているのです。イエスが心を騒がされたと言って驚いてはなりません。人の子として、十字架の苦難を前して心乱されたのは当然と言えます。
  2、試みを受けられた魂の状態:27
 「なんと言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか」。イエスの心には二つ思いがありました。「わたしを救ってください」と「わたしを救ってくださらなくてもよいのです」で心の葛藤、試みです。そこには自己中心の祈りで自分の事だけを考えての祈りと言えます。今一つは、父の御心を思い、自分を放棄する祈りです。この試みはイエスの内にありました。
  3、父に信頼する魂の状態:27
 「しかし、わたしはまさにこの時のために」の「しかし」は「ノー、いや、それは違う」の意味です。イエスは、「父よ、父よ」と呼びかけておられます(:27,28)。これは、イエスが父に溢れる信頼を寄せておられます。父の愛を疑うことのない心です。もし、「わたしを救ってください」と祈られたなら「すべての人を自分の下に引き寄せる」(:32)ことはありませんでした。わたしたちもこの祈りに近づきたいです。更に栄光が現わされるために。