2019. 4.7
「裏切るユダを友と呼ぶイエス」 
マタイによる福音書  26章14〜16節、26章47〜50節、27章3〜10節
小 菅  剛  牧師
 無関心は苦しむことはなく、愛は、苦しみます。イエスの苦しみは、愛する苦しみでした。自分を裏切るイスカリオテのユダを愛して苦しまれました。
  1、ユダは、銀貨30枚を欲しました:14〜16
 ユダはイエスに選ばれて使徒とされ、3年イエスのそばにいました。その彼が、わずかな金に心が奪われてイススを裏切ることは不思議です。銀貨30枚は、当時の奴隷の金額でした。ユダは「盗人であって、金入れをあずっていながら、その中身をごまかしていた」(ヨハネ12:6)。イエスのそばにいながら、金を欲しました。彼の心は、金のために策を練り、やがて実行します。神と富には兼ね仕えることができません。
  2、ユダは、偽りの愛を示します: 47-50
 ユダは、イエスの神聖な祈りの場所を殺意で踏み荒らします。彼はイエスに近寄り接吻をします。この行為は、弟子が師匠に、愛する人が大切な人にする行為でした。 彼は、その愛情のしるしである接吻をもってイエスを裏切るしるしとしました。愛を偽ることのできる人でした。これは、裏切られる人の心を幾倍も傷つけ苦しめます。
  3、イエスは、裏切るユダを愛されています:50
 イエスは、偽りの愛を示して敵にイエスを銀貨30枚で売り渡したユダに「友よ」と言われます。イエスは「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15:13)と言われました。裏切るユダを愛して「友・仲間・僚友」と呼び、槍よりもきつい偽りの接吻を受けて、赦し、受け入れておられるのです。
  4、ユダは後悔したが悔い改めなかった: 27:3〜10
 後悔と悔い改めは違います。悔い改めるとは、罪を悲しみ、神に赦しを祈ることです。マタイはペテロの悔い改めとユダの後悔を対比します。悔い改めましょう。