2019. 4.14
「十字架を見上げる目」 
マタイによる福音書  27章32〜56節
小 菅  剛  牧師
 クリスマスを囲む人々がいる。ここには十字架を囲む人々が出てくる。兵士は「そこに座って見張りをしていた」(36)とある。十字架を囲む三種類の人たちがいる。
  第一は、何も知らないで十字架を見上げている人がいる。
 十字架につけた兵士、十字架を負わせられたキレネ人(エチオピア人)シモン、行き交う人々である。彼らは、いぶかり、戸惑い、当惑していたであろう。彼らは、イエスの働きや評判については知っていた。そんな人が十字架につくとは何のことかわからずにいた。その中には、無関心の人やただ眺めていた人もいる。子どもたちは、大人のやることがわからないで優しいイエスを思って見ていただろう。現代もそのような人が多いことに驚く。
  第二は、邪悪な思いで十字架を見ている人がいる。
 ピラトは保身のゆえにイエスを死刑に引き渡した。イエスの無罪を知っていながら、あえて鞭を浴びせて死刑に引き渡した。優柔不断と事なかれ主義、民衆に迎合し良心を売り、臆病者で貪欲で出世主義のピラト。祭司長や律法学者は徹底的にイエスを憎み、死刑に追いやった。自分は正しいと考え、愛ではなく宗教に熱心で、合わない人を憎み、敵意をむき出しにし、妬みで心が満ちている人たちである。人を攻撃して自分を保つ人たちである。
  第三に、十字架を信仰持って見上げる人がいる。
 百人隊長は「本当に、この人は神の子であった」と十字架を見上げて行った。ルカによる福音書に、悔い改めてイエスを信じた一人の犯罪人が出てくる。彼は「わたしを思い出してください」(ルカ23:42)と祈る。陰で泣いている母マリヤと女性たちがいる。自分がつけられる十字架にイエスが代わりについているのを見たバラバもきっと泣いていたであろう。知らない人、邪悪な人でも、信仰を持って十字架を見上げるなら救われる。