2019. 5. 5
「困惑のきわみ」 
創世記  42章29〜38節
小 菅  剛  牧師
 どんな人生にも進退きわまると言う時がおとずれます。今日のみ言葉は、ヤコブにとってまさにそのような時でした。ヤコブと共に私たちにも共通な三つのことを取り上げて見ます。
  1、ヤコブの苦痛を見ましょう
 ここにヤコブは悲痛な嘆きをもって訴えています。彼はつらい悲劇に見舞われました。愛する妻は、ベニアミンを産み死にます。最愛のヨセフは、この時点で死んだと思っています。次に、シメオンが人質としてエジプトに捕らえられています。更に、末っ子のベニアミンまでがエジプトに行かなければなりません。「みんな、わたしを苦しめるばかりだ」との悲鳴もわかります。
さらに、これまでの成功した蓄財を脅かすひどい飢饉が襲ってきます。自分の労苦したものが音をたてて崩れていくのは非常につらいものです。経験ありませんか。
  2、次はヤコブの盲目です
 苦難は人を苦難の中に閉じ込めます。ヨセフはもっと辛い経験をしますが、彼は神を見ました。しかし、ヤコブにはそれが認められません。「わたしをここ(エジプト)に遣わされたのは・・・神です」(45:8)とヨセフは言います。人生を通して神を見る人と神を通して人生を見る人の違いです。神は、ヤコブに将来を備えておられるのに、盲目のヤコブはただ悲嘆にくれるのです。
  3、最後に、神のヤコブへの祝福です
 神がヤコブと兄弟たちの誤りを正されます。神は兄たちの罪を暴かれます。ヤコブの盲目も正されます。ヨセフは、父ヤコブを迎える高級車を送ります。飢饉の中、エジプトで安定した生活が保障されます。彼が嘆く「みんなわたしを苦しめるばかりだ」から全く解放されます。神はあなたにもとっておきの祝福が用意されています。まだ、嘆きなさいますか。神を見上げましょう。