2019. 6.30
「愛のゆえに拒絶する」 
サムエル記下  24章1〜25節
小 菅  剛  牧師
 真の愛には献身と自発で多くの犠牲を払います。今日のみ言葉に、便利で、安易で安価な主へのささげられる可能性があってもダビデは神を愛して拒絶しました。ここで改めて、わたしたちは神への愛について教えられたいと思います。
  1、愛は主張します
 24節でダビデは「わたしの神、主」と言っています。愛はそもそも所有願望の強いもので、個人的性格の強いものです。ダビデは「神、主」とも「わたしたちの神、主」とも言っていません。愛は、「わたしの家」「わたしの子」「わたしの教会」「わたしの猫」など個人的で強い所有があります。ダビデは、神を心から愛した人でした。
  2、愛は与えるものです
 ダビデは、主にささげたい思いがここに溢れています。真の愛は、所有的なものであるとともに与えるものです。愛を受けるもの、奪うものと思っている若い人たちがいるのは残念です。神は、そのひとり子イエスをあなたに与えてくださいました(ヨハネ3:16)。神はあなたを所有したいと共に、与え尽くしたいと思っておられます。神は、勿論、所有するために与える欲ではありません。
  3、愛は、代価を払うために固執するものです
 土地も捧げものも、すべて提供するとの嬉しい申し出にダビデは拒絶します。愛は、代価を払うだけではなく代価を払うことを固執します。ここは考えましょう。天気が良いから、車があるから、さいふが痛まない程度のものを主にささげていないでしょうか。
  4、愛は選びます
 人間の愛は選択します。誰にどれくらい献げようか考えます。自分の為なら多くの犠牲も払います。ダビデの言葉をもう一度見ましょう。あなたは何を献げますか。