2019. 7.28
「井戸掘り」 
創世記  26章15〜25節
小 菅  剛  牧師
 井戸は、泉とも言われて聖書が私たちに与える神の恵みを現しています(イザヤ12:13、ヨハネ4:1参照)。イサクのいた地方は、井戸は貧困か繁栄か、命か死の分かれ道でした。キリスト者にとっても、神の井戸を持つか持たないかは、死か命の分かれ道です。
  1、井戸は聖書を示しています
 イサクは、父アブラハムの井戸を掘り「父がつけたとおりの名前を付けた」(:19)ことから父の井戸を知っていました。自分で新しい井戸を掘るのではなく、昔の井戸でもある聖書にあなたの井戸があります。わたしたちも神の恵みを再発見するために井戸を掘る労苦を惜しんではなりません。聖書ともっと深く親しみましょう。
  2、井戸から豊かに湧き出る水は何でしょう
(1)内なる罪を清める井戸です:19〜22
 アブラハムはゲラルの王と友好条約を結んでいました(21:22〜31)。その条約は一方的に破棄され、井戸はふさがれ、井戸は次から次と奪われますが、イサクは争わず譲渡します。わたしたちの内に敵意、憎しみ、争いがあります。当然の権利を放棄されたイエスを見ます。
(2)主との出会いの井戸です:23〜24
神はアブラハムに現れてくださり、イサクに現れてくださいました。キリスト教は、生きる知恵を与える以上のものです。神との出会いを与えるのです。
(3)天の都に導きます 
 アブラハムは、地上の井戸ではなく天上の都を目指しました(へブライ11:8〜10、13〜16)。地上の幸福、繁栄ではなく永遠の都はわたしたちの目的地です。
  3、敵が井戸をゴミ屑でふさいでしまいました。
 サタンは、あなたの心に挑戦して、この世の過ぎ去る物で井戸をふさぎます。欲、名誉、繁栄のゴミです。