2019.10.13
「わたしがここにいます」 
イザヤ書  6章1〜13節
小 菅 剛 牧師
 ウジア王(BC791年〜740年)の支配は、ユダ国を繁栄させた。ウジア王が死に息子ヨタム王に、その後まったく不信仰なアハズが王となり民は神から離れていく。霊的低迷期、こんにちの日本の霊界のような時代にイザヤは神に召された。その時代、人々は神の言葉を聞かない頑なな民に預言者としてイザヤは召される。神はその中で民の十分の一の信仰者を残して置かれる。神はいかなる時も民を愛しておられる。そのために神の僕を必要とされる。困難な時代に召されたイザヤの召命を見よう。
  1、神の栄光を見るイザヤ:1〜4
 神は、難しい奉仕に召されるときに神の栄光の姿を見せられる。これは特別な恵みである。奉仕に耐えられる恵みがまず与えられる。天上の世界はウジア王の死に悲しむイザヤをどんなにか力づけたことであろう
  2、自分の真相、罪深さを知る:5〜7
 神の聖さ、威厳、栄光、尊厳を明らかに知る時、そこで自分の罪深さも知る。D・M・ロイドジョンズは神の崇高さを見る時、自分の悲惨を知る聖なる混乱が魂に起きると言う。イザヤは5章に民の罪深さを「災い」(:8,11,18,21,22)と5回指摘してきたがその罪は自分にあることを知って「災いだ。・・汚れた唇」と言って嘆くイザヤ。神はそのイザヤの罪を清めてくださる。天の祭壇の炭火はイエスの十字架の血を表すであろう。御子の血による罪の赦しである(エフェソ1:7、1ヨハネ1:7、ヘブライ9:14)。今もあなたの罪を赦される神がおられる
  3、神の招きの声:8〜13
 イザヤは、神の声「誰が我々に代わっていくだろうか」を聞く。イザヤは自ら「わたしを遣わしてくださいと」と応える。今も、神は背を向けている民を愛し、神の言葉を語る人を求めておられる。この神の声にあなたはどう応えますか。こんにちのイザヤはいませんか?