2019.11.10
「母親の喜びと責任」 
マルコによる福音書  10章13〜16節
小 菅 剛 牧師
 ここは、今年1月6日(日)新年礼拝で「幼子を招くキリスト」と言う説教題でメッセージしました。今年は、「今こそ次世代宣教、信仰の継承」が教団も教会も標語となっています。今日は、幼児祝福礼拝です。イエスが一番幼子を愛して、祝福しておられます。教会も一丸となって次世代宣教・信仰継承に取り組んでいます。
 教会学校は、朝9時半から行われてきましたが、2011年4月3日(日)より第二礼拝と同時に10時45分から行ってきました。9年目です。これは、これまでお母さんが子どもを教会学校に送っていましたが、お母さん(親、祖父母)と子供が共に礼拝を捧げる目的で始めました。子どもを送り出すのではなく連れて行けるのです。
  1、母親の喜び
 アブラハムの妻サラは、イサクを生んだとき「神はわたしに笑いをお与えになった」(創世記21:6)と言いました。イエスは「産むとき苦しむ・・・生まれた喜びのためにもはやその苦痛を思い出さない」(ヨハネ16:21)と言って、母親が子供を出産する喜びを語っておられます。
  2、母親の責任
 神が与えてくださった子どもをイエスに連れて行く責任がわたしたちにあります。
(1)子供を抱いてみもとに連れて行くことです。子どもの祝福を親は願います。献児式は親の祈りです。親は子育ての責任があります。子どもが信仰決心できるように導く責任を神様が与えておられます。
(2)跪いて祈りの中で子どもを連れて行くのです。母親の祈りの膝は、子どもに最高の神学校です。
(3)子どもを後ろ姿で育てて連れて行くことです。十字架の愛に生かされ、礼拝を何よりも喜びとしている後ろ姿が、神の祝福へと導きます。