2019.11.17
「重荷はどうするか」 
詩編  68編20〜21節
小 菅 剛 牧師
 ジョン・バンヤンの『天路歴程』に巡礼者が「わたしの背負っているこの重荷が、わたしを地獄へ落としはしないかと恐れる」と言います。そこに、力強く語られるキリストの言葉が響きます。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)。重荷を負う者を招かれるキリストです。大勢の人が、肉体の病、精神的霊的な病に苦しんでいます。わたしたちは、この重荷をどうしら良いでしょうか。
  1、重荷はおろすべきです。
 重荷は負うべきではありません。重荷は重すぎます。今朝のみ言葉と詩篇55篇23節に心を止めましょう。更
に「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」(1ペテロ5:7)。ここにあなたを心配しておられる神が記されています。重荷の中に、失敗や罪があります。その罪も負ってくださったのがキリストです(1ペテロ2:24)。日々の異なる重荷、生活の重荷に、イエスは「天の父を思え」と言われました。未来も恐れる必要はありません。「死から解き放つ神」(21)とはイエスの復活です。
  2、重荷はお互い負い合いましょう
 「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。」(ガラテヤ6:2)。ここで、互いの重荷とは他人の弱さとか失敗を指しています。注意にも謙遜な心でしましょう。これが律法を全うすることです。
  3、重荷には負うべき責任の重荷があります。
 「めいめいが、自分の重荷を担うべきです」(ガラテヤ6:5)とあります。重荷は委ねるものと負うものを区別しましょう。自分の重荷とは愛する重荷です。家族や同僚などに。誰に私たちは責任がるのでしょうか。「わたしたちはみな、かみのさばきの座に立つ」(ローマ14:10)と。