2020. 1.26
「大祭司イエスの祈り」 
ヨハネによる福音書  17章20~26節
小 菅 剛 牧師
 序論: 「父よ」(:1,5,21)とあり、この17章はイエスの祈りです。最後の晩餐の説教の終わりはイエスの祈りで終わっています。大祭司イエス(ヘブライ4:14、5:5、7:24)の祈りは先ずイエス自身(:1~)、次にそこにいる弟子(:6~)、最後は後の弟子のため(:20~)でした。
  1、宣教の土台:20,21,23
 イエスは、弟子たちの宣教の実、多くの弟子が生まれることを見ておられます。その土台は、教会の一致です。「世は信じる」(:21)、「世が知るようになる」(:23)とありますから、一致こそ宣教の土台であります。
  2、イエスの祈りは弟子が一つになる事です:21
(1)一つになる難しさからイエスは祈られました。
1,ユダヤ人と異邦人の一致の難しさ。ローマ14:1~6
2,指導者の違いによる一致の難しさ。1コリント1:12
3,婦人たちの一致の難しさ。フィリピ3:3
(2)、一つになるとは:21
争いは醜いから、和は尊いからでもありません。また、目的が一つでもありません。父とイエスがお互い内におられる一つです。神との愛と交わりの一致です。
(3)一致を破るもの
 罪とサタンは一致を破壊する敵です。サタンはアダムに罪を犯させ、神との不和断絶、アダムとエバの不和断絶が起きました。人間同士で、一方が罪を犯して不和になることが起きます。マタイ10:34~39、弟子とこの世も一つになれません。世は憎みます(:14、15:18)
  3、一つへの道
(1)イエスの祈り:20。わたしたちの責務があります。
(2)イエスの十字架。1コリント1:13
(3)イエスの謙遜。フィリピ2:6~8
(4)召しにふさわしく歩く。エフェソ4:1~6
(5)「愛はすべてを完全に結ぶ帯です」(コロサイ3:14協)