2020. 4.19
「エマオの道で」 
ルカによる福音書  24章13~35節
小 菅 剛 牧師
  「心から期待していたことが痛々しい敗北に終わり、心が弾む思いでいだいていた高い幸福な希望が無残にも踏みにじられ、心に描いていた甘い夢が破られたときの失望状態―あの深いくらい陰気な落胆から来る失望状態―を、一度も味わったことのない人がいるであろうか」(『人生の訓練』V・R・エドマン)
 エルサレムからエマオの家に帰るクレオパと妻はその落胆から来る失望状態で重い足取りで歩いていました。二人は「ナザレのイエスに・・・望みをかけていました」(:19~21)。望みをかけるとは希望、期待をしたと言うことです。その期待が大きいほど、無残にも打ち砕かれたときの失望、陰気な落胆は言いようのないことでした。
  1、イエスは、落胆の人と共に歩かれる:13~27
 落胆から来る失望の大きさは「目が遮られ」(:16)るほどでした。イエスは二人に近づき、語りかけられ、歩みを共にしておられます。「イエスは生きておられる」(:24)とのニュースにも驚くだけでした。深い悲しみにある人よ、あなたが意識できなくてもあなたに関心を持ち、あなたの道を歩んで下さるお方がおられます。それは復活のイエスです。
  2、イエスは、目を開いて下さいます:28~32
 「イエスは、聖書を悟らせるために彼らの目を開き」(:45)とあります。イエスは聖書全体からメシアの苦難と栄光を語られたとき、心は燃えても目は遮られたままでした。イエスがパンを裂かれた時、二人の目が開かれて、イエスだとわかりました(:31)。パンを裂くとは十字架を指しています。そこが開眼場所です。
  3、エルサレムに帰る二人:33~35
 二人は全く落胆から解放されました。彼らは神の都エルサレムに帰り、仲間たちと会い、喜び合うのでした。